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”何か”を見つける為に

 

 

お   名   前:北川 智清 様
卒       業:1992年 3月
当  時  の  部  活  動:バスケットボール部
お世話になった先生:谷田部 先生・山本 先生・長田 先生
ご   職   業:サバイバルゲーム フィールド運営
連   絡   先:lowenkranz@gmail.com
H         P:cqb-ghost.com

Q.現在のお仕事について教えてください。

兵庫県福崎町と神戸市でサバイバルゲーム場を2店舗運営をしています。
エアソフトガンを使用したサバイバルゲーム(以下、サバゲ―とする)をお客様に楽しんでもらうための場所なのですが、福崎町では工場の跡地でフィールド運営していて、廃工場がそのままサバゲ―のフィールドになっています。

もともとは靴工場を営んでいたようで、サバゲ―をより楽しめるように製造に関わる機械もそのまま残しました。

神戸店は昔の巨大迷路のような形になっていて、高さ180センチくらいの壁に隠れながら戦うようなフィールドになっています。

Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?

昔一緒にサバゲ―をやっていた友達と再会したことがきっかけです。
もともとは三宮でステーキ屋さんをやっていました。
ステーキ屋さんが軌道に乗ってきた頃、2店舗目として元町の中華街でスペインバルをはじめたんですが、これが全然うまくいかなかったんですね…。
オープンから半年くらい経って「これはダメだな」と感じて閉店することにしたんですが、失敗したまま終わるというのが嫌で「次はどうしようかな?」という風に考えていました。
そんな時にたまたま昔一緒にサバゲ―をしていた友達に会いまして、サバゲ―事情について聞いたんです。
そこで「最近サバイバルゲーム場というのができたんです!」という情報を仕入れまして、私も一緒に行ってみたのですが「これって商売になるんじゃない?」と思ったんですね。
私がサバゲ―をしていた頃はサバイバルゲーム場というものがなくて、勝手に山に入ってサバゲ―をするというのが普通でした。
ただ思わぬところに人がいたりすると事故にもつながりますし、エアガンの威力に規制(2006年)が入ってからはサバゲ―界隈も下火になっていました。
当時サバイバルゲーム場は関西に3件あるかどうかくらいのもので、サバイバルゲーム場に行った時に「これだ!」と感じたことがきっかけで、そこから飲食店を経営しながらサバイバルゲーム場をつくるために動き出したという感じですね。

Q.実際に働いてみてどうですか?

もともと趣味だったものが仕事になったのでとても楽しいですが、フィールド設営の時はバリケードや防護設備等を殆ど自分一人で作り上げる必要があり、大変苦労しました。
実際にサバイバルゲーム場をつくろうと思ったときに「職人さんにはお願いできないな」ということを感じました。
なぜかというとサバゲーを経験していないと、戦いを白熱させる微妙な隙間や角度の感覚がわからないんですよね。
実際の戦いを想定したときに、サバゲ―では隙間の幅が大きく影響してくるんです。
「この隙間は残すか、隠すか…!」みたいな微妙な感覚を人に指示することができないので、これはもう自分でやるしかないなと(笑)


いろんな方角から角度を確認して一つ一つ自分一人で立てていくわけなので、大変な作業でした。
さらに言うと神戸店はもともと少し丘になってまして、土を削って整地するところからのスタートだったんです。
ここに関してはどうしてもプロのチカラが必要で、人に頼むことになるんですけど、
ここで手伝ってくれたのが中高で一緒だった仁川の同窓生なんです。
当時丘を削るためにいろんな業者さんをあたってみたんですけど、なかなか請け負ってくれるところがありませんでした。
そんな時、仁川の同窓会で「今度サバイバルゲーム場をつくるんだけど誰か土建屋さんいないかなあ?」という話をなんとなくしていたら、たまたま仁川の同窓生で土木屋さんをやっている子を見つけたんです。
早速相談してみたところ「おぉ、いいよ!」と言ってくれたんですね。
なのでその子がいなかったら今の神戸店はできていないんです(笑)
大変なこともありますが、貴重な人の縁に気付かせてくれることもあったりするのでとてもいい思い出ですね。

Q.この仕事のやりがいは?

お客さんが楽しんでいる姿を見ているとこちらも楽しくなってきます。
「凄く楽しいです!ありがとうございます。」とお客さんから言っていただけることは大きなやりがいです。

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?

コルベ神父様の慈悲の心を持つという教えは仕事のみならず、人生の中でもとてもためになっています。
また仁川時代からの人の縁にも感謝しています。
在学中はあまり関わりがなくても大人になってから出会ったいい人達が仁川の出身だったりすると、仁川に行ってよかったなあと感じますね。
卒業してからも先生と関わりがあったりするところも仁川ならではなのかな?と思います。

Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?

学生時代の思い出はほとんどが部活ですね…。
月曜日から日曜日までぎっしり部活をやっていて、休みは月1回とかだったと思います。
他には学院祭で友人とバンドを組んでステージに出演したこともいい思い出ですね。
あとは長田先生のことが印象に残っています。
長田先生は教官室にいらっしゃることが多いんですけど、私は教官室への出入りが多くて、その度にビクビクしていたのを覚えています(笑)
ある時、学校帰りに友達と歩いてたら長田先生に声をかけられたんです。
「おう!北川!!お前ちょっとこっち来い!!」というような感じで…。
もう当時の私は「呼ばれたらどつかれる!!」としか考えられなくて(笑)
それで何が起きたかというと、先生の行きつけのお好み焼き屋さんに連れて行ってくれたんです。
ほんとは買い食いとかしたらダメなんですけど、その出来事はすごく記憶に残っていますね。
「食えぇ!」と言って、先生は横でビール飲んではりましたけど(笑)
長田先生は部活とかも違うんですけど生徒のこと気にかけてくれるというか、人情味のある先生でしたね。
当時だから違和感がなかったように思いますけど、今だったらアウトな出来事ですよね(笑)

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

英知大学(現:聖トマス大学)に進学して、卒業後は電機関係の会社に就職しました。
東京本社と香港支社に配属されたものの「自分には向いていないなぁ」と思い2年程務めた後に退職いたしました。
当時、ゆくゆくは自分で何かをしたい!という気持ちはあったのですが、具体的に何をするかというのは決められていませんでした。

退職後、東京に在住しており「仕事は辞めたものの東京に居たいなぁ」という気持ちがあり、飲食店に面接を受けに行きましたが「未経験は雇えない」と断れてしまいました。
その帰りに、たまたま入ったステーキ屋さんでご飯を食べているとオーナーシェフの方から「お仕事中ですか?」と聞かれ、その流れで「実は近くの飲食店に面接に行ってきたんですけど、落ちてしまって…その帰りです。」とお伝えしたところ「じゃあ、ウチにおいでよ!」と、まさかのスカウトをしていただき、そこからステーキ屋さんで働き始めることになります(笑)
諸事情により1年程で退職し、その後は大阪・新地のおでん屋さんや、梅田の居酒屋等で働くも長続きはしませんでした。
そこから半年間引きこもり生活を送った後「これは、どないかしなあかん!」と一念発起し、すぐに店舗探しを始め、26歳の頃に三ノ宮でステーキ屋を開業して、15年ほど経営することができました。(現在は、当時の店長がお店を営んでいます。)
38歳の頃、2店舗目としてスペインバルを開業するも半年で閉店。
その辺りでサバゲ―時代の友達に出会ったことをきっかけに、サバイバルゲーム場を始めて今に至ります。

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

高校でアメフト部に入りたかったからです。
しかし中学でバスケ部に入部し、良い仲間に恵まれた為、結局6年間バスケを続けました。

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

中学時代のことになりますが、3年間同じ仲間で過ごしたことで強い絆ができたことです。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

現在の状態で学生に戻れるなら、自分をアピールしたり、友達と何か発信できるTikTok やInstagramで動画配信をしてみたいですね。

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?

サバゲーや自衛隊、警察官等に興味がある方は是非当店にお越しください。


https://www.cqb-ghost.com/

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

今はスピードと行動の時代になっていると思います。
また、自分の強みが見つかれば人生を大きく変化させることも可能です。
「自分とは?」をいつも心に留めて学生生活を楽しんでください。
自分で自分を楽しませることが出来る人が勝つ時代だと思います。

インタビューを終えて

最後までお読みいただき有難うございます。

サバイバルゲーム場運営の他にも面白い経歴をお持ちだった為、沢山質問を投げかけてしまいましたが、一つ一つ分かりやすく背景からお話ししてくださり、優しい雰囲気の中インタビューをさせていただきました。
「いつか、自分で何かをしたい!」その”何か”を見つけていく物語が、大変面白くて素敵でした。

ピン!ときたら決断するまでの時間が早く、尚且つ行動力も持ち合わせている北川様らしく、インタビュー記事を書かせてください!と依頼させていただいた際も二つ返事で快諾してくださり、とんとん拍子に今回のインタビューが進みました。
北川様、ご協力いただき本当に有難うございました!