本文までスキップする

必死に駆け抜けた「仁川時代」

小野原 智 先生

勤務期間:1975年4月~2011年3月

教えた部活動:水泳部(10年),バトミントン部(15年),生徒指導(4年間)

連絡先:https://www.facebook.com/onogy

Q.仁川学院をご退職後、どのようにお過ごしでしょうか。

退職後は妻との時間を大切にしてました。
旅行が好きで海外旅行にも沢山行きましたし、アメリカで車を借りて色んな所を見て回りました。
アメリカは、ほぼ全制覇していると思います。

また60歳になっておやじバンドの方と知り合い、元々音楽が好きだったのもあり、バンド活動もする様になりました。
仁川学院で働いてる時も学院祭で演奏させてもらってたんです。
ついつい、演奏しすぎて生徒から「まだやるの!?」って言われたぐらいです(笑)
趣味でギターしていたんですが、そのバンド内では既に上手な方がギター担当されていて、ベースギターの席が空いていたのでベースギターを担当することになりました。
現在5年ほどベースギターをしておりますが、新たな楽器に挑戦したこともあり、試行錯誤しながらも楽しく音楽活動をしています。

音楽活動をしていると新しく出会う人が沢山いまして、今ではライブなどに行くと必ず知り合いがいたりと、そんな充実した日々を過ごしております。

Q.なぜ教師になろうと思ったのですか?

名古屋の中京大学に通っていた時に、スイミングスクールのアルバイトをしていまして、そこで教える楽しさとやりがいを経験したことがきっかけで興味を持つようになりました。
ただ大学4年生の時、他の企業に内定が決まっており、卒業前の3月には内定先に即戦力になる為にも働きにくるように言われていたのですが、どうしても教師の道を諦めきれず「本当は学校の先生になりたいんです。もう、就職先決まりそうなんです。」と決まってもいない状態でしたが、そのようにお伝えして教師になる道を探していました。
恩師などの助けもあり仁川学院が教職員を探しているという情報を聞きつけ、すぐに面接にいきました。
仁川学院に就職が決まりましたのが3月の中頃なので本当必死で滑り込みました(笑)
この時が人生の分かれ道でしたね。 

Q.仁川学院で働いてみてどうでしたか?

仁川学院に入職してからは、とにかく必死でした。
体育教師をしていましたが、球技は苦手だったんです。
しかし生徒達に質問されたら、きちんと教えてあげたいですし、クラブ活動で専門に活動してる生徒達にも「分からない」なんか絶対に言えないですから、毎日必死に詳細な専門ルールを覚えました。
私の出すテストは「このような場面では、どのルールが適用されますか?」といった選択問題だったんですが、生徒の事を想いながらテストをつくる時間は、大変楽しかったです。

また、水泳部の顧問をしたり、室内温水プールの建設委員会に2回入らせていただきました。現在のプールが2回目の建設になります。1回目の建設課題であったプールの床面が上下に動く「可動床」が実現できたことは、その日に幼稚園児から高校生まで問題なく使えるので、素晴らしいプールになっております。その様な建設に関わらせていただき中々経験出来ない、貴重な経験ができました。

そして水泳部顧問の後に、バトミントン部顧問もさせていただいたんですが、水泳とは全く違いますので私自身も必死になって、週一ではありましたが、退勤後2年間一般のクラブで実技を勉強しました。とにかく仁川時代はずっと必死でした。
それでも生徒達の為になら「いくらでも頑張れるし、やるぞ!」という想いで働かせていただいていました。

Q.働いていたころのやりがいを教えてください。

私と接することで何かプラスになってくれたり喜んでもらえて、こんな風に進めるといいなって思ったところに進んでくれる、それが凄く嬉しかったです。
「先生~!こんな風に頑張ってます!!」って言ってもらえたり、生徒達の成長の過程をみれることが一番の喜びです。

今でも「あの子は何してるかな?」と気になり、たまに教え子達と会ったりしています。
今年は当時担任をしていました、男子クラスのクラス会があったのですが、結構な人数が集まり色々な話が出来たんです。
それは、もう最高でしたね。
教え子の成長は見れる、これがまさにやりがいです。
大変なこともありましたが、それでも教師をやっていると、このような喜びがあるからいいんです!

Q.仁川学院時代に学んだことで、今も生きてることはありますか?

和と善の精神ですね。
生徒達と共に、私も「和と善の精神」で成長させていただきました。

建学の精神「和と善(Pax et Bonum)」は、聖フランシスコがすべての人に向けた挨拶の言葉です。
人間の持っている姿や力、功績などは自分が作り上げて所有しているのではなく、すべては神からの贈り物。感謝とともに、 人となごみ、仲良くする「和」の心で、神から自分に贈られた「善」を人々と分かち合うことに本当の生きる喜びがあります。
仁川学院.仁川学院について.教育の特色 学校法人仁川学院
仁川学院WEBサイト https://www.nigawa.ac.jp/about/philosophy.html  (参照 2022-10-17)

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

生徒との思い出は沢山あるんですが、ある生徒が進学先として志望した学校があったんです。
ただ、その生徒を推薦するには少しだけ足りない部分があり「推薦を見送ろうか」ということになりました。
後日、推薦会議の際「一名だけ推薦枠が空きました」と聞いて、その生徒のことが頭に浮かび間髪入れずに「私のクラスに、このような生徒がいます。推薦会議で少しだけ足りなかったですが、このような良いところもあり、絶対に良いです。」と発言しましたら「次回、資料を持って来て下さい。」と話が進んでいき、その生徒は見事志望校に入学いたしました。

その会議に出ていなければ枠が空いた事は知りえない情報でしたし、その時すぐに思いだせていなかったら他の生徒に決まってしまっていたかもしれない、、本当に生徒の努力ももちろんですが、全てのタイミングが良かった事も合わさり入学を掴みとれたこと、その生徒が志望校に入るのに少しでも力添えが出来たこと「本当に良かったぁぁ」となった瞬間でしたね。

一問一答

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

やっぱり仁川ファミリー。それに尽きると思います。
色んな考え方の先生がいましたけども、何か失敗したとしても「自分で責任とりなさい。」ではなく手助けしてくれる。
違うことは、それは違うねってポイント的に助言をくれる。
違う考え方をそれぞれ認め合い、助け合ってっていうのは、やっぱり仁川ファミリーだからこそ出来ているんだと思います。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

今でも後悔していることがあり、それは不登校の生徒に対しての教え方なんです。
当時の私は基本的には学校に来るべきだと、それが生徒の為だと思っていました。
ですが本当は、その生徒のことをよく見て、話をよく聞き、本当は何がしたいのか見つけ出して”学校に来る以外”のあらゆる方法も含めて導かなければならなかったと思っています。

なのでもし、仁川時代に戻れるとしたら一筋縄ではいかない、単純な話ではないことも十分承知の上ですが「学校に来るべき」という枠を外してあげて、その生徒がどの方向に行きたいのか見極めて「それならこんな道もあるから、一度やってみようか」と生徒に合った道を与えてあげたいです。

Q.同窓生の皆様にPRしたいことがあればお願いします。

現在、私はおやじバンドで第二の人生を楽しんでおります。

Q.最後に仁川学院生の皆様にメッセージをお願いします。

英語はどこでも使えますし、世界が1つ広がると思います。
仕事などのスキルではなくコミュニケーションのアイテムとして、是非英語を使えるようになって下さい。

インタビュー終えて

本文では「生徒達」に言葉を統一いたしましたが、小野原先生はことある事に「子供達」という言葉を選び、発言されていました。
それは年齢関係なく小野原先生と歳が近い生徒の方にも同じです。
小野原先生にとっては、いくつになっても「子供達」なのだなと心にジーンとくるものがありました。
インタビュー中は、時間経ってもずっと子供達が大好きな気持ちと、子供達に対しての深く優しい気持ちが伝わってきていました。
生徒想いの小野原先生にお世話になった子供達は、とても幸せ者だなと思いました。
小野原先生、インタビューご協力いただき、本当にありがとうございました。