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諦めずに踊り続けた仁川時代~全国の舞台へ

 

 

お   名   前:小林杏菜(新井)
入       学:2011年4月
お世話になった先生:松浦なおき先生
ご   職   業:元宝塚歌劇団
連   絡   先:Instagram

Q.どんなお仕事をされていましたか。

私は、宝塚歌劇団でタカラジェンヌとして9年間、舞台に立っておりました。
タカラジェンヌになるには、宝塚音楽学校に合格し、2年間歌やダンス・お芝居を学んだ後、卒業して入団になるので、学校も含めると11年間ですね。

タカラジェンヌになると宝塚大劇場と東京宝塚劇場の2つの劇場で、花組、星組、月組、宙組、雪組の5つの組に分かれて公演を行っています。
私たちの劇団は全員女性で、公演では男役と娘役に分かれて演じており、私は6年間男役を演じた後、2年間娘役を経験しました。
舞台に立たない期間は、1ヶ月半ほどの稽古をしたり、全国ツアーや博多座公演、他の地方での公演を行ったりします。
舞台以外にも、宝塚歌劇団の専門番組「SKY STAGE」でキャスターのような役割を果たしたり、街中での取材・雑誌のインタビュー取材を受けたり、全国各地を転々としていました。

タカラジェンヌ・・・宝塚歌劇団の愛称

Q.なぜ宝塚歌劇団を目指そうと思ったのですか?

私がタカラジェンヌを目指すきっかけとなったのは、ダンスやバレエを教えてくれた元タカラジェンヌの先生や、周りの環境だったと思います。

幼い頃から宝塚に住み、クラシックバレエとダンスを習っていました。
私の先生は元宝塚歌劇団の方で、スタジオにはタカラジェンヌの方々も訪れていましたが、その時はまだ将来の目標も定まっていませんでしたね。
小学校から中学に進学する頃、私は勉強よりも身近にあるダンスやバレエ等好きなことに取り組みたいと思うようになり、中学3年時の進路相談で、自分の好きなことに取り組みたいという願望を伝えると、宝塚音楽学校を勧められました。
中学3年から高校3年までの間の4回しか受験資格がなかったんですけど、先生からの勧めもあり受験しましたが、最終試験で不合格となってしまいました。

当時は自分の踊りにかなり自信があったので(笑)不合格と分かった時はかなり落ち込み、非常に悔しかったです。
その後、仁川学院高等学校に進学し充実した高校生活を送り楽しかったのですが、心のどこかで好きなことを仕事にしたいという夢を抱き続けていましたので、部活には参加せず宝塚音楽学校へのリベンジの為に週6回のバレエレッスンを続け、高校1年の期間に宝塚音楽学校に合格し、転校しました。
その後2年間歌・ダンス・芝居を学び、卒業してすぐに宝塚歌劇団に入団しました。

Q.仁川学院から転校したとのことですが、転校先とのギャップなどはありましたか?

私はマリアの園からずっと仁川学院にいたので、今まで共学の環境から、女子生徒だけの環境に変わるので緊張しました。
宝塚音楽学校では緊張感が漂い、ダンスや歌などの芸術的な技能だけでなく、先輩への礼儀も教え込まれましたので、そのプレッシャーに圧倒されたことを覚えています。
学校での整列等、成績順に常に並ぶため、自分の頑張りが毎日、目に見えてわかる環境が独特でしたね。
私は、負けず嫌いな性格でしたので、常に良い成績を目指し、上位に入ることを目標に学校生活を送っていました(笑)

Q宝塚歌劇団に入ってみてどうでしたか?

卒業した瞬間から宝塚歌劇団のプロとして入団することになるので、緊張しましたね。
今まで舞台やテレビで見ていた人たちと共に舞台を作り上げることになるので、とにかく迷惑をかけず、先輩たちに追いつくことを目指して努力しました。
とにかく「芸は盗め」という言葉があるぐらい、良いと思うものをどう自分のものにするか、先輩たちのダンスや歌、演技を観察しながら考えている日々を過ごしました。
新人団員の頃は先輩に追いつくのに必死になりながらもお客様にどうしたら喜んで頂けるのか、楽しんで頂けるか考えてお稽古していましたね。
自分も舞台を楽しむことが大切と感じたので、毎日新鮮な気持ちで楽しく舞台に立っていました!

Q.タカラジェンヌ時代のやりがいは?

お客様が喜んでくださるお姿と、ファンの方からの応援です。

宝塚歌劇団では、ファンの方とお茶会や入り待ち出待ち等で、直接お会いして舞台や宝塚の話はもちろん、プライベートな話も交わす伝統があります。
宝塚に入団しなければ出会えなかった人々との出会いは、本当にかけがえのない物ですし、応援してくれる方々の存在は本当に心の支えになっています。

このようなファンとの交流は、宝塚歌劇団特有のものだと思いますし、楽屋入りや出待ちの時にファンの方々が待っている光景を見ると大きなやりがいに感じます。

※お茶会・・・スターのファンクラブが公演ごとに主催するファンイベント

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

文化祭ですね。

私たちは、お店の出展か、舞台で演劇をするか選べるのですが、初めはチームワークがまだ築けておらず、文化祭自体に乗り気じゃない同級生もいたので「どうしようか」と悩んでいたのですが、私はお店よりも舞台に出たいと思い、思い切って私の担任だった松浦先生に「舞台をやりましょう」と提案しました。
ハイスクールミュージカルの曲のメドレーをステージで披露することになり、クラス全員で装飾を施し、アゴラステージで踊りました。
当初は恥ずかしがり屋の男子生徒も多かったですが、私が監督のようにリードすると、皆が一生懸命に踊ってくれましたので、クラスが一丸となってよかったです。

その時に自分が創作活動や舞台で踊ることの楽しさを知る機会にもなったので印象深い思い出ですね。

Q.一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

気づいたらいました(笑)

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

仲間意識が強い!
毎年正月には、同級生と集まってプチ同窓会をしています。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

アゴラステージで歌って踊りたいです。

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何か伝えたいことはございますか?

学年関係なく仁川の卒業生と集まりたいです。

Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。

歌やダンスが好きな人と子育てをされている方とつながりたいです!

Q.最近力を入れていることは?

SNSですね。
今まで運用してこなかったんですけど、子供ができてから他の方の子育てに関するInstagramを見て参考にさせてもらったりしていたので今度は自分の子育て経験を発信して、子育てに困っている方の力になりたいです。

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

自分の好きなことをのびのび頑張ってほしいです!!

インタビューを終えて

インタビューでは、仁川での学生生活を懐かしむように明るく語ってくださいました。
幼い頃から続けてきた好きなことや、興味を持ったことに真っ直ぐに取り組む姿勢に共感する部分が多く、インタビューをしていることを忘れてしまうほど話に夢中になることもありました(笑)
インタビューを通じて感じたのは、学生時代から小林様が持つ諦めない強い心が、好きなことを仕事にし、多くの人から支持を受ける素晴らしいエピソードを生み出したということでした。

小林様、お忙しい中インタビューに快く応じてくださり、ありがとうございました。