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「経験」が「成長」に~子どもたちに新しい「挑戦」を~

 

 

お   名   前:縣 純平
卒       業:2011年3月
部         活            動:野球部
お世話になった先生:赤田先生 中尾先生 澤井先生 辻元先生
ご   職   業:幼少年健全育成道場 一般財団法人 淑水館
連   絡   先:syukusui@jttk.zaq.ne.jp
H                           P :syukusui.com

Q.現在のお仕事について教えてください。

私は祖父が設立した宝塚市の雲雀丘に位置する「一般財団法人 淑水館」で、総合指導主任を務めています。
この施設では、0歳から15歳までの子どもたちが通える教育プログラムを提供しており、親子教室、幼児教室、園児教室、小学生教室、中学生教室と、各年齢に応じた体育や学習のクラスを開設しています。
さらに、剣道、書道、個別指導、野球教室なども行っており、私は主に器械体操・野球教室を中心に体育指導を行っています。

すべての教室で、剣道の教えである仁義礼智信を基に、人や物を思いやる心や、自分に負けない強い心を育むことを目指して運営すると同時に、地域の小学校で特別支援ボランティアや幼稚園の放課後体育指導員としても活動しています。

 

Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?

高校の野球部を引退した後、放課後に今の職場で手伝いを始めたのがきっかけです。
部活を終えた後、将来について考えるようになりましたが何をすればいいのか分からず、家業を手伝う中で小学生と関わるうちにこの仕事が自分にぴったりだと感じるようになりました。
高校を卒業した後は教育者としての経験を積みたいと思い、視野を広げるために教育分野の大学に進学しました。
卒業後は2年半ほど宝塚市立の小学校で教員をしていましたが、在籍していた先生が退職することになり人手が足りなくなってしまった為、現在の職場に就職しました。

Q.実際に働いてみてどうですか?

家族が中心となって運営しているため、ほとんどの業務は家族が関わっています。
私の妻は書道教室を手伝い、母は主に剣道を教え、私は器械体操と野球教室を担当しています。
また叔父が経営に関与し事務作業を行っており、他の業務についてはパートや学生のアルバイトの助けを借りて運営しています。

その中で正社員は私一人だけなので自分でやらなければならないことが非常に多いです。
授業計画や指導案、行事の企画、配布物の作成などは教員時代に経験があるためそこまで苦労はしませんでしたが、HPの作成や広告、買い出しなど人手と時間が必要なことがたくさんあり、かなり大変ですね(笑)
良い点としては親族経営なので休みなどの調整がしやすいということがあります。

Q.この仕事のやりがいは?

子どもたちが「できなかったことをできるようになる」までの成長の姿を見守り、その過程に関わることに大きなやりがいを感じています。
例えば、幼稚園の頃には逆上がりができていた子が小学校に入ると鉄棒が怖くなり、できなくなってしまうこともあります。
そんな子どもたちには「ぶら下がり遊び」などの簡単な遊びから始め、徐々に逆上がりの練習を行い、半年かけて鉄棒を克服する子もいます。
一人ひとりの成長のペースは異なるため、その子に合った指導方法を考えるのも楽しいですね。

私の教室を通じて、少しでも体操や運動を好きになってもらいたいと思っていますので機械体操だけでなく、15分間の球技の時間も取り入れるようにしました。
その結果、地元のバスケットボールチームや野球のチームに参加する子どもたちが増え、新しいことに挑戦しながら成長していくきっかけをつくることができたときはやりがいに感じます。

 

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?

生徒会での活動が、今の職場での運営に役立っていると感じています。
生徒会の立候補演説では、球技大会の種目を増やすという公約を全校生徒の前で発表しました。
その結果、試合のスケジュールや対戦表の作成など細かい調整が必要になり、先生方にもご迷惑をおかけしました(笑)。
しかし、こうした経験を通じて行事の企画や運営、書類作成などが現在の職場でも活かせていると思います。

また、「何でもいいから続けてみなさい」というメッセージを子どもたちに伝えています。
子どもたちの中には親の意向で通っている子もいますが、まずは自分の意志でなくても今まで続けてきたことを褒めるように心がけるようにしています。
これは私自身が高校時代に野球部を辞めずに続けた経験から来ていますね。
学生時代、野球部に所属していましたが人間関係がうまくいかず試合もベンチにいることが多く、辛い思いをした経験もあります。
それでも野球が好きで一人で自主練をしながら3年間続けた結果、最後の大会で背番号をもらい出場することができました。
この経験から、「続けていれば必ず良いことがある」と生徒たちに伝えるようにしています。

Q.仁川学院時代の恩師との思い出エピソードがありましたらお聞かせください。

1年生の時の面談で、「真面目すぎる」と注意される感じで言われたのを覚えています。
当時は私自身かなり思考が固く、人間関係ではかなり苦労していたのでそれを見越して言ってくださっていたのだと思います。

結局改善することなく卒業してしまったのですが、大学生活ではその言葉の意味を少し理解できるようなっていたので高校時代よりは人間関係でも苦労せず過ごすことができました。

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

卒業後、大阪青山大学に進学しましたが高校時代に所属していた野球部が無かったため、入学と同時に新たに軟式野球部を立ち上げ4年間主将として活動しました。
野球部の立ち上げについては、大学の新入生オリエンテーションの初日に仁川時代の生徒会活動の経験を活かし、思い切って全員に声をかけて部員を募りました(笑)

その結果、偶然にも高校時代の夏の大会で対戦したバッターの子と地方から来た野球部の学生から声を掛けられ、一緒に野球部の立ち上げに協力してくれました。
3人で手分けして他の学生にも声をかけ最終的には20人集まり、集まったメンバーですぐに顧問の先生を探し、ユニフォームを作成した後、野球部を設立しました。
その後、2年と3年の時に全日本代表の選考会に参加したことをきっかけに、より高いレベルで野球を続けたくなり卒業前に大阪ウイング硬式野球クラブに入団し、現在も現役で活動しています。

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

野球部3年の夏の背番号発表で番号をもらったことです。
事前の新聞発表では私はベンチアウトしていたので、練習もサポートに回っていたのですが、背番号発表の時に下の学年の子と入れ替わる形で背番号をもらいました。同級生からは「なんでお前やねん」という空気がひしひし伝わってましたが…それは今でも社会人野球を続ける原動力のひとつになっています。

かなり野球レベルの低かった私を当時の監督の中尾先生や澤井先生、辻元先生に評価していただけたことがすごく嬉しかったのを覚えています。

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

野球部もあり勉強にもそこそこ力を入れている学校を探していたため。

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

1学年の人数の多さもあり、今まで関わってこなかったたくさんの人と関わることができるところ。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

もっと頭を柔くして友達100人つくります(笑)

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?

私が勤務している淑水館(しゅくすいかん)では、子育てをしているご家庭の力になれるよう、兵庫県の「まちの子育てひろば」に登録しています。また、運動が苦手な子でも、身体を動かすことが楽しいと感じられる体育教室ですので、ご興味ありましたらご連絡ください。

あわせて、「硬式野球をもう一度やってみたい!」と思う元野球部の方は、是非一緒に「大阪ウイング硬式野球クラブ」で野球をやりましょう。

Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。

教育関係のお仕事をされている方がいましたら、お話を伺いたいです。

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

一度しかない高校生活を、悔いの残らないよう全力で楽しんでほしいと思います!

インタビューを終えて

今回取材を受けてくださった縣様は、同窓会の学年幹事として日々、同窓会の行事に尽力してくださっています。 
今回のインタビューも「母校に貢献したい」との思いからご協力くださいました。

現在のお仕事も、子どもたちが「できなかったことをできるようになる」成長の姿を見守り、教室を通じて、少しでも体操や運動を好きになってもらいたいという思いで子どもたちと接しておられます。
特に「何でもいいから続けてみなさい」という縣様から子どもたちに送るメッセージは、仁川学院時代の野球部での活動が、困難なことが多く、続けることが難しい状況でも必ず頑張っている姿を見てくれる人がいて、その人が評価してくれた経験があったからこそ続けることの大切さについて今でも子どもたちに伝えられているのだと思います。

縣様、お忙しい中インタビューに快く応じてくださり、ありがとうございました。