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今までの「経験」「技術」「アイディア」をこの1枚に~

 

 

お   名   前:池野大悟
卒       業:1992年3月
部   活   動:2年生から美術部
お世話になった先生:大峠先生
ご   職   業:アートディレクター
連   絡   先:goidanokei@gmail.com

Q.現在のお仕事について教えてください。

1994年から2024年の約30年間、カプコンで勤務しておりました。
最初の10年間は「ストリートファイターIII サードストライク」などの販促用イラストを制作。
その後はゲーム開発に携わり、キャラクターや背景デザインを担当するアートディレクターとして「デビルメイクライ」シリーズや「ドラゴンズドグマ1&2」などの作品に関わりました。

現在は、同期が設立したゲームスタジオに移籍し、定年までの残り10年間を新たな環境で挑戦するために移籍を決意しました。

↑池野様がデザインした作品のイラスト

Q.実際に働いてみてどうですか?

入社当初は格闘ゲームが流行しており、キャラクターイラストの需要が急増していた時代でしたので格闘ゲームの攻略本や新作のイラスト制作に追われ、非常に忙しい日々を過ごしました。

特にカプコンは格闘ゲーム業界をリードしており、イラストの需要がさらに高まっていた時代でしたので先輩方だけでは手が回らない状況になり、私も多くのイラスト制作に携わる機会を得ました。
先輩方のデザイン技術やクオリティは業界を牽引しており、その影響で私もプレッシャーを感じながらも仕事に取り組んでいましたが厳しさと優しさを兼ね備えた先輩たちに支えられ、未熟な自分が最高の環境で成長できたことを実感しています。

Q.この仕事のやりがいは?

時間をかけて制作したイラストが世に出る瞬間は、何よりの喜びです。
特に格闘ゲームのキャラクターデザインでは力強さを表現することが重要で、筋肉や体格をリアルに描く工夫が求められました。
その際は「ドラゴンボール」のような強さを感じさせつつ真似しやすいシンプルなデザインを参考にしています。
先輩方はそういった漫画を参考にしつつ人体工学や筋肉構造の知識を学び、イラストに落とし込むことでシンプルでありながら実在感のあるキャラクターを生み出しました。
その技術は業界に大きな影響を与え、雑誌のイラスト投稿コーナーでは多くの人がその技法を真似て投稿したり、名だたる漫画家たちがカプコンのイラストを参考にしていたという話も聞きました。
私もその一員として作品を世に送り出すことにやりがいを感じています。

↑イラストを作成する際にキャラクターに取らせるポーズを自分で撮影し、それを参考にする様子。

Q.絵を好きになったきっかけを教えてください。

絵に興味を持つきっかけは、父親の影響が大きかったと感じています。
父親は少年漫画や雑誌を持ち帰ってきており、家には常に漫画がある環境でした。
そのため自然と漫画を読むことが日常となり、それが絵を描くことのきっかけにつながりました。
私は勉強が苦手でテスト前には机に向かうものの、勉強よりも絵を描くことに時間を使うことが多かったです。
家にあった漫画を参考にしながらキャラクターを描くうちに絵が上達していき、中学時代には夏休みの課題で描いたポスターが市の展覧会で佳作に選ばれることもありました。
高校時代ではコンビニで漫画雑誌を読み、そのエピソードを自分なりに描き直してクラスメイトに見せることを楽しんでいましたので、自然と絵を描く道に進んでいきました。

↑サイン会に来てくれたファンとの撮影

Q.仁川学院時代の恩師との思い出エピソードがありましたらお聞かせください

金沢先生が黒板に描いた似顔絵を褒めてくれたことを今でも覚えています。
先生のシベリア抑留の体験談は非常に貴重で、大人になって近現代史に興味を持つようになった今、もっと真剣に聞いておけばよかったと後悔しています。

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

仁川学院入学前に進もうとしていた進路であるデザイン、イラストが学べる専門学校に入学しました。
絵を描くことでお金が稼げるならどんな仕事でも構わなかったので、1番入試の早かった大阪のゲーム会社カプコンに就職が決まりました。
翌月が同じく神戸のゲーム会社コナミの入社試験、その後デザイン事務所という就職試験順だったのでその順序が違えば、現在と全く異なる人生になっていたかもしれません。

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

高校時代に体育祭でクラス旗を描くことになり、私はサザエさんのパロディを描いたと思います。
しかしその時、1学年下の後輩が本格的な油絵で双頭の黒鷲のようなクラス旗を描いておりその出来栄えに驚かされました。
この経験が影響し私は本格的に絵を描く職に就くことを目標に定め、高校2年生の途中から美術部に入部することに決めました。

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

幼少期から絵ばかり描いていて勉強は苦手でした(笑)。
中学校卒業後にはデザインの専門学校への進学を希望していましたが両親からの希望にもあり、近隣で入学できる仁川学院に入学しました。

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

自由闊達な雰囲気です。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

仁川に限らず、どの時代の過去にも戻る気はないです(笑)

Q.現在力を入れていることがあれば教えてください

小型のクロカン四駆車で林道を走ったり、ソロキャンプを趣味にしています。

Q.今の環境でいい面と苦労している面を教えてください。

30年勤めた会社から立ち上げたてのゲームスタジオに移ったので環境がまるっきり違う中、一から物事を始める新鮮さと責任感でこの歳になってドキドキハラハラで楽しいです。

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

これからの時代はうまく情報を得て効率的に考え、動かないと成功しにくい厳しい時代になっていくと思います。
私は30年イラストやデザインを生業にしてきましたが今ではAIが絵やデザインの作業を手軽に、しかも低コストで行ってくれるため、これからイラストレーターやデザイナーを目指すのは難しくなるでしょう。
それ以外の職業ももちろん従来と様変わりしていくと思います。
だからこそ今ある最新技術と戦うのでなくうまく利用して自分に役立てながら効果的に頑張ってもらいたいです。
私も後15~20年AIをうまく活用しながら頑張りたいと思います。

インタビューを終えて

今回は1992年にご卒業された池野大悟様に、インタビューさせていただきました。

中学時代の頃から自分の進むべき道を決めておられ、学生時代から続けてきた絵描きを現在の仕事に活かしています。
就職後はプロの先輩たちの存在にプレッシャーを感じながらも先輩方の技術を学び、自分のスタイルに取り入れる努力をしておられたようです。
高品質な作品を作り上げるために時には除夜の鐘を聞きながら作業に没頭するほどストイックな環境であったようですが、その苦労の結果、自分の作品が世に出たときには大きな達成感を得ていたようです。

池野様、お忙しい中インタビューに快く応じていただきありがとうございました。