Q.現在のお仕事について教えてください。
理学療法士として体のコンディショニングをサポートしています。
整形外科疾患(腰や膝の痛み)や市民ランナー、シニアの方の体作りなどリハビリだけでなく健康寿命を伸ばすお手伝いをしています。
もともとは病院に勤務していましたが、保険診療の限界を感じ、自費診療の世界に飛び込み今年4月から開業するに至りました。
また「PNF(固有受容性神経筋促通法)」という運動療法の普及にも力を入れ、セラピスト向け講習会も開催しています。
理学療法士、PNFインストラクター、ピラティス、ヨガの資格を活かし、お一人おひとりに合わせた“オーダーメイド”のサポートを提供しています。
体が元気になると、心も明るくなる。そんな瞬間に立ち会える仕事をしています。

Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?
最初は人をサポートする仕事に就きたいと漠然と考えながら大学に進学しました。
しかし、自分のやりたいことが見つからず、長い間悩んでいました。
「自分は何のために生まれてきたんだろう?」と深く考え込んだこともあります。
そんなある日、ご飯を食べていると「このご飯も、この箸も、この器を作ってくれる人がいる。そのおかげで自分はこうして生きていられるんだな」とふと気づきました。
「じゃあ自分も人のためになる何かをしたい。自分も他の人に恩返しができる仕事に就きたい」と心に決めました。
そのときに思い浮かんだのは心理カウンセラーでした。
人の心の悩みを聞き、寄り添うことで人を支えられる仕事だと思ったからです。
ただ、進み方がわからず迷う中で、「体のこと」でも人をサポートできる仕事があると知りました。
そこから理学療法士という道を志し、今に至ります。
悩み抜いた末に出した答えを信じて前進し、納得できる道を選んだことが今の自分につながっていると思います。

Q.実際に働いてみてどうですか?
この仕事で一番嬉しい瞬間は、「身体が楽になりました!」や「痛みが取れました!」と直接感謝の言葉をいただけたときです。
特に、体が動きやすくなって笑顔を見せてもらえる瞬間は、本当に嬉しくなります。
一方で、どんなに考えて取り組んでも結果が出ないときもあります。
そんなとき、私は失敗は自分を成長させる試練だと前向きに捉えるよう心がけ、「足を止めず前に進む意識」を持つようにしています。
結果が出ない経験もポジティブに受け止め、次にどう活かすかを考えることがこの仕事の面白さであり、同時に難しさでもあると感じています。

Q.この仕事のやりがいは?
患者さんが「できなかったことができるようになった」瞬間を一緒に喜べることが、何より嬉しいです。
過去には、仁川学院出身初の力士で大関まで上り詰めた貴景勝関(現・湊川親方)を学校時代のご縁で、リハビリおよびトレーニングを担当させていただきました。
彼が活躍し、幕内で優勝した時や大関に昇進された時は自分のことのように嬉しくて興奮しました。
こういう瞬間も、この仕事ならではの喜びです。

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?
色々ありますが、一番は野球部での経験ですね。
僕がいた当時の野球部は、今よりも少し(いや、かなり?)厳しめの部活動でした(笑)。
今となっては笑って話せますが、理不尽なこともたくさんありました。
でも、その理不尽さの中にはとても大切なことが詰まっていた気がします。
何が起きても「まぁ、あの頃に比べたら」と思える“忍耐力”が自然と身につきましたし、セラピストとしてお客様と向き合うときも、その経験が確かな土台になっていると思います。
それから先生たちも本当に温かかったですね。
生徒一人ひとりにちゃんと目を向け、気にかけてくれていました。
「人への愛情」を、確かに受け取ったと感じています。
今、僕が患者さんと向き合うとき「この人のために力になりたい」と思えるのはあの頃の先生たちの影響ですね。
改めて「あの時間が今の自分をつくってくれたんだ」と思い出させてもらいました。

Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?
僕の仁川学院での学生生活はほとんど野球中心でしたね。
ほとんど毎日、夜の8時までグラウンドにいたので、勉強にはなかなか手が回りませんでした(笑)。
それでも先生たちに「お前、頑張ったら大学に行けるぞ!」といった言葉に励まされ、どうにか机に向かっていましたね。
学校生活といえば……恋もしていましたね。
昼休みになると、音楽室の裏や視聴覚室のあたりでこっそり当時の彼女とお弁当を食べながらおしゃべりしたり、先生が通るとあわてて隠れたりして(笑)。
ああいう甘酸っぱい時間もいい思い出です。

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?
仁川学院を卒業してからは京都産業大学の法学部に進学し、「自分探し」のようなことに多くの時間を使っていました。
その中でも特に印象に残っているのは、障害のある方たちが共同生活している施設にボランティアで訪れたことです。
その時に「自分も誰かの支えになれる仕事がしたいな」と感じるようになったのを覚えています。
それから北海道へのオートバイ一人旅も思い出深い経験です。
約1ヶ月かけて北海道中をぐるっと一周し、雄大な自然に圧倒されながら、自分の小ささを感じたりしていました。
今の仕事にすぐに直結したわけではありませんが、「人の役に立ちたい」という気持ちや「自分と向き合うことの大切さ」を考えることができた時間があったからこそ、今の自分がいるのだと思います。

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?
繰り返しになりますが、やはり一番思い出に残っているのは、野球部での活動ですね。
サッカー部やアメフト部とグラウンドを分け合いながら、泥だらけになって練習していた風景が懐かしいです。
僕らの代のチームはけっこう強くて、強豪ひしめく兵庫県大会で春はベスト8、最後の夏の大会はベスト16まで進みました。
特に当時のエースが活躍してくれましたし(その後社会人野球にも進んだ選手でした)、みんなでがんばっていい試合をたくさん経験できました。
一問一答
Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?
幼稚園が仁川学院系列だったため、自然な流れで進学しました。
Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。
学問だけでなく、人間性を育ててくれる学校だと思います。
Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?
今の仕事で英語をけっこう使う機会があるので、英語をもっとがんばりたいですね。
Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?
前述したように、この4月から開業しました。
理学療法士として今はフリーでやってます。
ホームページも完成予定なので、ぜひ覗いてもらえたら嬉しいです!
▼ホームページ▼
PPS(PNF×Pilates Studio)
Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。
これを僕のライフワークにしているので体のことについて、もし悩みがお有りならいつでも、どなたでもお力になりたいですね。
Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。
「好きで得意なことを見つけてください。」それができたらきっと人生は楽しくなるし、きっと自信にもつながります。
今の時間は皆さんが思っている以上に貴重だから、大切にしてください。
インタビューを終えて
今回のインタビューを通じて強く感じたのは、「人の役に立ちたい」という思いが一貫して軸にあることでした。
学生時代の厳しい野球部で培った忍耐力、先生方から受け取った温かさ、それらすべてが今の仕事にしっかりと息づいているのが伝わってきました。
また、自分自身と真剣に向き合い、悩み抜いた経験があったからこそ、今の仕事に誇りを持ち、患者さん一人ひとりと丁寧に向き合えるのだと感じました。
「体が元気になると心も明るくなる」という言葉通り、目の前の人を笑顔にする仕事に取り組む姿勢には、大きなエネルギーと優しさがあります。
江口様、お忙しい中インタビューにご協力いただきましてありがとうございました。