将来は音楽で食べていくと決め仁川学院に入学した30年後
油井 誠志 様 卒業:1995年 当時の部活動:吹奏楽部 お世話になった先生:南先生 ご職業 : エイベックス・エンタテインメント株式会社 |
Q.現在のお仕事について教えてください。
エイベックス・エンタテインメント株式会社(以下エイベックス)・レーベル事業本部でアーティストだったり作品に紐づく音楽の※A&Rっていう仕事やプロデューサーをしています。
現在は大塚 愛やcommmons(坂本龍一)今年の9月からNAQT VANE(ナクトベイン)も担当しています。
NAQT VANEとは、ドラマ、映画、アニメの劇伴など国内外、多方面にわたり活躍している澤野弘之さんがトータルプロデューサーで、8年の海外生活から帰国したHarukazeをボーカルにした、チームプロジェクト型のアーティストのことです。
あとは、ゲームや舞台や企業周りなど音楽に関わるもののプロデュースをしたりと幅広く仕事をしています。
大塚 愛とかだとファンクラブのラジオを一緒に喋ったり、司会したりと本当何屋さんか分からないですよね(笑)
ただ基本的にはアーティストや作品を、どのように世の中にだしていくかを考えて実行しています。
※A&Rとは
主にレコード会社に所属し、所属アーティストに対して育成・楽曲提供・宣伝戦略(ブランディング)を行うことが仕事で、Artists and Repertoire(アーティスト・アンド・レパートリー)の略です。
どのようなコンセプトで楽曲制作をしていくか、また、アーティストのコンセプト(ブランド)をどのように設定し、作っていくか、レーベルや会社の色を出しながらアーティストを長く活躍させていくことができるのかという、売り出していくための重要な戦略を決定する仕事です。
また、新人発掘担当と一緒にアーティストの発掘に関わることもあります。
Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?
会社に入社したきっかけは当時、エイベックスが洋楽に強い会社だったのと、ダンスミュージックをやっていたのですが、東京ドームでイベントをしていたりと「何だ?この会社は」と気になって応募したのがきっかけです。
面接に行った際には既に制作募集は終了しており「制作の他に何が空いていますか?」と質問したところ、アルバイトで着メロをつくる仕事なら募集している事を教えてもらい「アルバイトでもいいので働きたいです。 もし実力を認められた場合は、好きなことをやれせていただけますでしょうか?」と質問したところ、面接官の方が「それは貴方次第なので、可能性は大いにある会社ですよ。」という回答をいただいたので、アルバイトで入社する決意をしました。
Q.この仕事のやりがいは?
毎日やりがいを感じてて、それは小さいやりがいの積み重ねなんですよね。
当時だとお店などで自分が作ったものとか発信した CD を手に取ってくれたり、買ってくれる瞬間を見かけた時や、街中を見るだけの感動しました。
レコチョク(着メロ・着うたサイト)を担当していた時代、着うたを聞いたり「この前レコチョクでダウンロードしたんだけど~」っていう会話を聞けると嬉しかったですし、今だとSNSで反応が見れたりするのでやりがいを感じやすくなっています。
家族とかもそうですけど「あれ面白かったよね。」だったり、そういう一言やリアクションがすごくやりがいになっています。
もちろんチャートで 1 位取りました!など大きいやりがいがあったり、例えばライブツアーをやり切った時に、ここまでの規模で出来るようになったんだなぁ,,,とかの感動もありますが、基本は日々の小さなやりがいを沢山感じています。
Q.卒業後はどのようにお過ごしでしたか?
元々、国立音楽大学で音楽デザイン学科に4年間通っていたのですが、クラシックより新しい音楽の可能性に興味があり、得意な楽器はミュージックサイレンだったのでサイレン回してたり、現代音楽、ノイズ、ポップスという何でもありの音楽を 4 年間作っていました。
授業では創造に関する事も学んでいたので、建築の授業があったり、デザインの授業があったり、インスタレーション(芸術的空間)を作って公園に音楽のオブジェを作ったりと多岐に渡り学んでいました。
実は現在の活動の原点はこの頃なのかなっていう気もしています。
学生時代は「表に出る演奏者になりたいなぁ」と思っていた時もありましたが、後々自分の特性を考えみると裏方で演奏者を輝かせる方が向いてることを気づき、卒業してから 2 年間インディーズの小さいレコード会社に入社しました。
パンクやブラックミュージックなどの輸入をしていました。
2 年間、みっちりと制作・宣伝・営業・社長のお世話・犬の散歩(笑)とか色々学ばせていただきました。
その後転職を決意し、エイベックス・ネットワーク株式会社にアルバイトとして入社いたしました。
働きだしてからは、早く社員になりたかったので、与えられた仕事以上に仕事をするスタンスで業務に取り組んだ結果、1年で社員になることができました。
その後、着うたが流行りだした時代になり、レコチョク(着メロ・着うたサイト)の事業立ち上げメンバーに参加することになりました。
レコチョク立ち上げの経験により色々なレーベルの方々と繋がったり、25歳ぐらいの時にモバイルビジネスをやらしてもらったりしていました。
結局今も昔も、新しい技術って若い子の方が得意なんだと思うんです。
若くても積極的に仕事に取り組んでいるとチャンスがすごく巡ってきて、当時 27 歳で課長に任命していただき部署を持ってモバイルのファンクラブ作ったり、色々やってたんですけど原点の音楽作りがしたいと思い、30歳の時にエイベックス・ネットワークから異動し、エイベックスの音楽制作を出来る部署に転籍させてもらいました。
レコチョクでは異業種×音楽など新しいイノベーションが起きてたんで、そこにいた 5 年間は比較的役職や年齢など関係なく、意見を言いやすい部署で好きな事をやらせていただきながら育ったんですが、制作はすごく上下関係も厳しく体育会系で異動して最初の方は「生意気だ。」とか言われました(笑)
今は仕事だけではなく、音楽×異業種で何か出来ないかなと思ったり活動をしながら今に至ります。
漫画(デジタルアート)×音楽
Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?
僕の影響度でいうと南先生の存在は大きかったです。
南先生は破天荒な先生で「なんでやったらあかんの?」っていう人で、分かんない事があるとなんで?ってすごい聞かれたりもしましたね。
そして「面白いと思ったらやってみようよ!」みたいな行動力もあって、南先生慕ってOB も生徒たちも未だに集まるというカリスマ性もあって、いろんな先輩達がいるんですけど、皆が集まって 1 つになれるっていうところは学生時代にしっかりと見てきましたし、分け隔てなく、いろんな生徒と好き嫌いなく接してくれるっていうところもあり、行動力とコミュニケーション力は今も生きていると思います。
また「みんなでやろう!」 っていう南先生のスタイルも、仁川で学びました。
結婚式にも出ていただいたり、未だにメッセンジャーでやり取りもしてますし、仁川での縁に恵まれ、今があると思っています。
特に南先生と出会っていなかったら、今の自分はないと言えるぐらい大きな影響を与えてくれました。
元々僕は卒業後は専門学校に進学するか、東京に行って仕事探そうと思ってたんですけど、親に「どうしても大学は行って欲しい」と言われて、最初は大阪音楽大学を受けるつもりだったんですけど、たまたまバンドのチャリティーコンサートが東京であり、南先生に「私の母校の国立音楽大学を見に行こう」と誘われて見に行ったんです。
そして国立音楽大学に訪れた瞬間に「ここで俺は勉強した方がいい!」っていう直感があって、受験の年の 9 月に進路変更しました。
そこで人生変わった気がします。
この時の分岐点は本当に大きな分かれ道でしたね。
Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?
入学当初から音楽で食べていくっていうのは決めていたので吹奏楽部に入りました。
直感的にエレクトリックな楽器よりピアノとかの生楽器のある環境がいいなと思って入りました。
なので入学してからの3年間、ほぼブラスバンドのために学校行ってたんじゃないか?ってくらい本当に音楽と部活中心の生活でしたね。
入学してから30年後の、お仕事の様子(左側)
Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?
部活で数日間、仁川の保養所でOB も来てくれる合宿があり、学院総会に向けて練習するっていう目的もあるんですけど、 OB の方が色んな楽しい話をしてくれる時間があって、大学はこんな感じだとか、自衛隊はこんな感じだよとか、社会を知れる良い機会だったなと思います。
あとは、部活のみんなで花火をしたりふざけ合ったりして凄く良い思い出として印象に残ってますね。
一問一答
Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?
一番の理由は共学なところです。
男子校と迷いましたが、女性がいた方が華やかだと思って決めました(笑)
あと「和と善」がすごくいいなと思ってて、個性を重んじるってことを書いてたので、自分らしく居れるなっていうのと、”仲間”みたいな感覚もすごくありそうな学校で、校舎も綺麗だし良いなと思って入学したのがきっかけです。
今でも凄い良い学校だなと思いますし、仁川がなかったら今の自分もいないし、南先生とも出会わなかったから仁川学院に入って本当良かったと思います。
Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。
いじめもなく、平和な人たちが多いところですかね。
個性を重んじる校風なので生徒達も一緒で、できない事があっても笑われることもないし、すごい生徒がいても「すごい!」ってなるけど、別にその生徒だけがヒーローじゃなくて「この分野は〇〇さんが面白いよね」っていう感じで、それぞれの居場所があり、排他的じゃない感じとか、良いコミュニティだなと思います。
今でも学校に行った際に感じる雰囲気とか生徒同士仲良さそうだなと感じて良い学校だなと思いました。
Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?
またブラスバンドに入りますね。
僕トロンボーンやって1 年でクビになり、打楽器を2 年間してたんですけど、本当はトランペットとか吹く方をやりたかったんです。。
今息子がトランペットをやってて、それ見ていいなって思うので、戻れるならトランペットがしたいです!
あと、英語を勉強しとけばよかったかな。
語学をやっておけば、選択肢の広がったかなと思いました。
Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?
ぜひコチラの記事をご覧ください。URL:https://nigawa-alumni.jp/future/972/
音楽 ✕ 異業種 ✕ 仁川学院高等学校同窓生
Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。
趣味で言いますと、鉄道が好きです!
出張の際は早めに起きて他の路線乗ったりとか、この前も仙台行った際に写真撮ったりとかしてて、撮り鉄・乗り鉄というか鉄道が好きですね。
関西は鉄道王国なんで関西に行くとやっぱり楽しいですね。
近鉄や南海、京阪と個性のある私鉄が多くて羨ましいです(笑)
琴電(撮影:息子さん)
Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。
色んな人と個性が集まってる学校なんで、学生のうちに仲間と積極的にコミュニケーション取ったり「やってみよう!」ってことは、どんどんトライするといいと思います。
仲間づくりもそうですし、とにかく自分でやりたいなと思ったことをやれる一番いい時期だと思うんで、そこを大事にして、毎日楽しんでほしいなって思います。
インタビューを終えて
当WEBサイトをOPENしてすぐの頃に1通のお問合せがあり卒業後に上京した為、部活仲間以外との繋がりがなく自身の「今」を発信したいです、といった内容でした。
同窓生と繋がりたいという想いで当WEBサイトにコンタクト取っていただいたこと大変嬉しかったのと、OPENして2,3日後の事だったので、アンテナ力(常にアンテナを張っている力)と瞬発力と行動力のある方だなという印象でした。
そのお問合せをくださったのが今回インタビューさせていただきました油井さんです。
会社員をしつつ、自分の興味ある事はどんどんと取り組まれて目を輝かせている姿が質問していくたびに最初のイメージとだんだん一致していくのが楽しくて質問するのが楽しかったです。
今後も油井さんの活動を当サイトでお手伝いできたらいいなと思っています。
油井さん、お忙しいところ沢山お時間をかけてインタビュー受けていただき有難うございました!
あごらいくん(大塚 愛作)