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Slow and steady wins the race.

 

お   名   前:大前 はるよ 様
卒       業:2002年3月
当  時  の  部  活  動:バドミントン部・軽音楽部
お世話になった先生:前田憲二先生・田中美智子先生・中野先生ほか
ご   職   業:兵庫県議会議員
S     N     S:https://www.instagram.com/haruyo_omae/
H         P:http://haruyo25.jp/

Q.現在のお仕事について教えてください。

兵庫県の県会議員を務めて14年になります。
教育や福祉についての政策、道路や河川の整備など県が行う事業やお金の使い方について、県民の代表として提案したり、問題を指摘したりしてより良い社会づくりを目指す仕事です。

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

高校在学中は何となく大学への進学を希望していたのですが、卒業直前に「社会に出たい」と思い、急遽フリーターになることを選びました。
このまま何となく進学して、何となく就職しても、社会に出たら自分の失敗も成功も、全て自分で責任を取らないといけないのに、「何となく」では社会で上手くやっていけないんじゃないかと思ったんです。

私は人とコミュニケーションをとるのが苦手だったので、苦手を克服する為に、卒業後はアルバイトとして飲食店(接客業)で2年程働きました。

実家住まいではありましたが、高校時代に通っていた予備校の費用を両親に返したり、その時の自分に出来ることをしながら過ごしていました。

そして、アルバイトをきっかけに飲食サービス業界で働き続けたいと思い、調理師免許を取るために調理師専門学校に入学し、卒業後は洋菓子メーカーに就職しました。
私は「人の役に立つ仕事がしたい」そして、それが実感できる働き方をしたいと考えていました。大変な面もありましたが、ケーキなどの商品の提供を通じてたくさんの人を笑顔にする仕事はとても充実していました。
しかし、就職から数か月後に足を骨折しまったのです。「仕事が出来ない…」と呆然としていたその日に、当時の小泉首相が突然、衆議院の解散を決めました。当時、衆議院議員だった父や私以外の家族は大急ぎで選挙の準備に入りました。
実は、父の仕事を尊敬してはいたものの、選挙には関わらない様にしていたのですが、仕事は休みなんだからと父の事務所番を任されることになったんです。
この後の話は【Q.現在のお仕事を始めるきっかけを教えてください。】に続きます。

Q.現在のお仕事を始めるきっかけを教えてください。

私自身は元々政治には興味がありませんでした。
ですが、当時国会議員だった父の選挙を手伝うことになり、そこで出会った支援者の方から実際に父がやってきた仕事の話を聞くうちに、「当たり前の暮らしを守り、つくっていく」大事な仕事をしているんだと身に染みて分かり、手伝いたいと思い秘書になる決意をしました。
秘書として働く中で、私自身も困っている人の力になりたいと思ったこと、有権者の一人として希望を託す選択肢になりたいと思ったことが立候補のきっかけです。
昔は父を見て「ドラマやマンガでも政治家って絶対悪者役。頑張っていても認められなくて、なんかイメージ悪いって不憫な仕事だなぁ」と思っていたのですが、気付いたら自分も政治に関わる仕事をしていました(笑)

Q.実際に働いてみてどうですか?

当選当時は最年少の県会議員で女性が現在ほど多くなく、まして私は要領が良いタイプではないので手探り状態でした。
物事のルールも習慣も分からないし、会社じゃないので教えてくれる先輩がいる訳でもなく大変でしたが、その分沢山の気付きや学びありました。
色んな経験や失敗をしたからこそ、人にしてもらったことは今でも覚えています。
だから、県会議員として5期目となった今、議員として、一人の人間として、自分のできる少しのことだけでも、誰かの力になりたいと思います。
そういった積み重ねが、皆がより気持ちよく、豊かにくらしていく為に大事なことだと思っています。

現在も思い通りにいかないこともありますが、課題解決に向けてできることをコツコツ積み重ねていくしかないのは、どの仕事も同じかなと思います。
この仕事は、それぞれの立場で世の中をよりよくしたいと活動されているたくさんの人に出会うことができて、面白いです。

一度の問題提起で物事が大きく動いたケースの例で言うと、公立中学校の通常学級や公立高校入試での学習障害などの困難を抱える生徒に対して、合理的配慮が行き届いていない現状について、具体例をもとに問題提起をしました。
教育委員会からは非常に前向きな答弁が引き出せて、この質疑のあと、県教育委員会から県内のすべての公立学校に対して合理的配慮がきちんと行われるように通知が出され、質問のきっかけとなった中学生の子は、合理的配慮としてタブレットの使用ができるようになりました。

そのように、一度の問題提起で物事が大きく動くこともあれば、私がここ数年ずっと取り組んでいる介護看護従事者が人を抱え上げないようにする取り組みである「ノーリフティングの推進」など中々進まないこともあります。
同じく、以前から提言していた課題でも、児童相談所がもつ虐待通報情報の警察との全件共有については、なかなか進まなかったのですが、先日神戸市西区で起きた痛ましい事件をきっかけに実現されました。
お金や人手がかかること、利害の対立があることなどは実現が難しかったり、解決に時間がかかることが多いです。
でも、センセーショナルな事件の発生や、国の法律や方針の変化で一気に進むこともあります。
だから、必要な政策は課題意識を共有する仲間を増やすこと、諦めずに訴え続けることが大切だと思っています。

Q.この仕事のやりがいは?

自分の提案が実現されたり、指摘が通った時や、困っている人の力になれた、政策がより実態にあったものにできたと実感できた時はとてもうれしく、やりがいを感じます。

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?

正直いうと、私はあまり学生時代をエンジョイしていた方ではないと思います。
当時は、自分のことがすごく嫌いでした。
なので学生時代については後悔だらけです。
できないことを恐れずに、チャンスがあるなら挑戦すればよかった。。
ダラダラしないでもっと勉強すればよかった…と自分が大嫌いになるくらいに後悔まみれでしたが、今は人生一度きりだから【悩むよりもまずやってみよう】という気持ちを何よりも大切にしています。

Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?

なんだか常に悩んでいた気がします…(笑)
思春期ってそういうものかもしれませんが。

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

2年生の時の担任の田中美智子先生が、ご家族の介護で途中で辞められたのですが、退職後に生徒一人一人に、お手紙と誕生石のプレゼントを送って下さったのを覚えています。
その中にそれぞれへの英語の金言を書いていて、私は【Slow and steady wins the race.】急がば回れでした。
短絡的に考えて落ち込んだり、悩んだりするより、地道にできることを努力した方が、少しずつでも前に進めるんだと、こんな自分でも見ていてくださったんだなと嬉しかったことを覚えています。
今考えると大変な中だったと思いますし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

中学校から入りました。姉兄も通っており親の勧めです。

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

校舎がきれいなところ。
学校全体の雰囲気が穏やかなところが魅力だと思います。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

若くて記憶力があったあの頃にもっと勉強しておけば良かったと思います。
将来の選択肢も広がるので…それとやっぱり、友情とか恋愛とか、青春したいですね!!

あと、親と向き合う時間を作りたいです。
そのための時間を作ってもらって、自分の納得できる答えを一緒に見つければ良かったなと思っているので、学生に戻ったらそれをしたいです。

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?

同窓会やりましょう!

Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。

子供が同世代とか少し上の人とか、市内で一緒にお茶してくれる女性と繋がりたいです!

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

大人になると学生時代より開き直る力が増す気がします(笑)
人生一度きり、学生時代も社会に出てからも、ぜひ貪欲に楽しんでください!

インタビューを終えて

最後までお読みいただき有難うございます。

本文では書ききれなかったのですが、経歴も大変興味深く、24歳の時に再び勉強をしたいと思われ、県会議員の仕事をしながらも大学に通われたりと、自分に足りないと思うところを、すぐに行動しプラスに変えようとするところは、卒業後あえて苦手な分野に飛び込んだ大前さんと今も変わってないのではないでしょうか。
お子さんの出産時もたった2か月ほどのお休みの後に職場復帰されたとのことで、本当に世の中を良くする為に常に動いてくださっている、大前さんのパワフルな一面がみれるお話が盛り沢山で、楽しくインタビューをさせていただきました。

【Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?】の部分で語られていたように、自身の後悔や苦手なことを前向きに受け入れて「悩むよりもまずやってみよう」精神で生きている大前さんは、とてもカッコ良い人でした。

大前さん、お忙しいところ貴重なお時間をいただき、快くインタビューにご協力してくださり有難うございました!