仁川の「教え」と「出会い」は私の人生にとって大きすぎるものでした
お 名 前:神田 道隆 (旧姓:中田) |
Q.現在のお仕事について教えてください。
平日は長崎のキリスト教系の大学で研究者&教員として授業をしています。
さらに同じ系列の高校で聖書(宗教)の授業を担当し、日曜日は教会で牧師をしています。
Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?
元々はカーディーラーや不動産業で営業をしていましたが、私が28歳の時に母親が自死し、そのことを仁川学院の同級生で、牧師をしている友人に相談したところ、「牧師だったら自死をなくす活動をしながら生活をしていける(飯を食っていける)」と言われ、「よし世界から自死をなくそう!」と思い立ち、仕事を辞め、31歳で関西学院の大学院に進学し牧師になりました。
教会で牧師をしながら自死をなくす活動をするはずでしたが、神様の導きなのか、今は学校付の牧師をしています。
Q.実際に働いてみてどうですか?
どんな仕事でもそうだと思いますが、私自身がどうかではなくて、お客さん(私の場合は説教(聖書のお話)を聞いてくれる人)の心をどう動かせるか、だと思います。
自己の満足ではなく、相手の満足を考えると、とても難しい仕事です。
お客様のために、今の私なら学生さんや信徒さんのために、何ができるのか、何をすべきなのか…、とても難しいですが楽しいです。
キリスト教徒として、時には楽天的な姿勢を取り、嫌なことや悲しいこともまた神様の恵みと受け入れ、神様がされているから「仕方がない」と考えています。
この「(神様がされているのであれば)仕方がない教」を自分の信念とし、困難をプラスに変えるようにし、非常に充実した日々を送っています。
カトリックの仁川学院とプロテスタントの教えには違いがありますが、キリスト教の精神を学べたことには深く感謝しています。
Q.この仕事のやりがいは?
生徒から「授業が楽しい」と言われる瞬間は、本当にやりがいを感じますね。
授業では「聖書にはこう書いてある」といった内容が、学生にとってはあまり楽しくないかもしれません。
教会でも寝ている人がいるくらいですから(笑)生徒たちにとっては、さらに厳しいかもしれませんね。
だからこそ、私の授業ではリラックスした雰囲気を心がけています。
時代が変わり、昔の「ノリ」が今の子たちには通じなかったり、ジェネレーションギャップに驚かされることも多いですが、それでも面白い話をしてみんなを笑わせたり、「キリスト教ってオモロイっすねー」と言われると、教えている自分も嬉しくなります。
Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?
仁川学院の建学の精神「和と善」が、40歳を超えた今、改めて心に響いています。
仁川学院のホームページには、「和と善」について「人の姿や力、功績はすべて神からの贈り物であり、感謝の心を持って人と仲良くする”和”を通じて、神から授かった”善”を他者と分かち合うことに生きがいを見出す」と説明されています。
これこそが全てです!人と仲良くし、良いものを分かち合うことの素晴らしさに感動しています。
この世は神様が与えたすべての出来事を「試練」と捉え、それに感謝しながら人と仲良くし、神様から教わったことを共有することができれば、戦争もなくなるのではないかと思います。
なので普段、私は「和と善」の精神を持って周囲の人々と接しています。(ただ、これがなかなか難しいのですが…笑)
Q.仁川学院時代の恩師との思い出エピソードがありましたらお聞かせください。
水泳部の顧問であった長田先生を冗談でからかい、捕まった際に堅いサンダルで愛情のこもった一撃を受けたことは、今となっては良い思い出です。長田先生が亡くなってから20年近くが経過しましたが、いつかあの世で先生に謝りたいです。
また、担任の津田先生が「人に『子供はいるの?』と尋ねるのは控えなさい。その人は子供を望んでいても、できない場合があるから」と教えてくださったことも、鮮明に記憶に残っています。
さらに、松浦先生が授業中に松田聖子の「マラケッシュ」を聴かせてくださったことも、印象深い楽しい授業として心に残っていますね。
Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?
軽音楽部で文化祭の時に講堂で演奏できたのはとても良い思い出です。
練習せずに、ほとんど仲間としゃべってお菓子を食べて過ごしていましたが気の合う仲間と一緒に過ごす時間は私にとって宝物でした。
あと妻と出会ったのも仁川学院ですのでもし仁川学院がなかったら子供も生まれていないし、大人になってお金より大事なものがあることに気づけていなかったと思います。
私の人生にとってとても大きな3年間です。
Q.仁川学院を卒業されてからはどうされていましたか?
学生時代は、多くの同級生が親の経営する会社で働くことが一般的でしたが、私は自分の力で仕事を見つけたいと思い、またお金を稼ぎたいという願望があったため(笑)、大学に進学し、カーディーラーや不動産業者で営業の仕事をしました。
不動産業界には、元々父が働いており、父が稼いだお金でベンツを運転する姿を見て育ったため、その影響が大きかったのだと思います(笑)
一問一答
Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?
中学3年生の時にアメリカンフットボールに興味をもち、仁川学院高校にアメフト部があったので入学しました。
結局、いろいろ思うところがありアメフト部は1年生の秋に辞めてしまいました。
そのことを思い出すと先輩方やチームメイト、また親にも申し訳ない気持ちが今もあります。
Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。
多くの「友達」と呼べる存在に出会うことができました。
今の仕事も家族もみんな仁川学院で会った人たちがきっかけになっています。
個性的な先生や友人がたくさんいて楽しかったです。
Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?
ちゃんと勉強して、東京の大学とかに進学してみたいです。
それか、高校3年生の夏休みに笑福亭鶴瓶さんに弟子入りしようとラジオ局までいったのですが、緊張して声がかけられませんでした。
もう一度、あの夏の夜に戻りたいです。
Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?
キリスト教に興味のある方は是非、ご連絡ください。
Q.お世話になった同級生がいましたら教えてください
現在の学校の前は熊本の教会で牧師をしていました。2016年の熊本地震では、教会は無事でしたが、熊本の町はめちゃくちゃ、ある信徒さんの自宅は倒壊しました。
その時ふと思ったのが地元神戸のパンが食べたい…でした。
ケルン(神戸のパン屋)の社長になられた壷井豪さんには、おいしいパンをたくさん送っていただき大変お世話になりました。
彼とは学年は同じですが同じクラスになったことはなかったのに…。本当にすごい人です。
いつか何かの形で恩返しをしたいと思っています。
Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。
先生には申し訳ないのですが、僕、実は宗教の授業のこと何も、全く、全然、1%も、覚えていないんです。
でも学院での生活全体を通して蒔かれていた、キリスト教という種は、ある日突然芽が出ました。
学院での生活で面白くないと思うこと、嫌なことがあるかもしれません。
でもそれはとても大切な経験で、何も無駄なものはありません。どうか1日1日を大切にしてください。
インタビューを終えて
今回取材を受けてくださった神田様は、同窓会へ「母校に貢献したい」との思いからご連絡をいただき、卒業生インタビューにご協力くださいました。
インタビュー中は、学生時代での友達との過ごし方や、先生をからかった時のお話など、昔を懐かしみながらお話をしてくださり、インタビューをしていることを忘れてしまうほど話に夢中になることもありました(笑)
特に印象に残っているのは、「和と善」など、学生時代にはあまり馴染みのなかった教えが、卒業してから数十年経った今、神田様の心に深く刻まれているところです。
卒業後も仁川学院時代の「学び」・「思い出」・「出会い」が、神田様の卒業後の人生に大きな影響を与えていることが伺えます。
神田様、お忙しい中インタビューに快く応じてくださり、ありがとうございました。