
世界チャンピオンの経験が支える、伊丹の自転車屋店主
お 名 前:丸山繁一 卒 業:19回 お世話になった先生:吉岡正起 先生 ご 職 業:▼サイクルショップ経営 |
丸山様は仁川学院卒業後、競輪選手として26年間にわたり国内外の自転車競技界で多くの実績を残しました。
高校3年生から兵庫県大会スプリント種目で3年間無敗を誇り、プロ競輪選手としては優勝5回を含め、数々のタイトルを獲得しました。
▼主な戦績
・1999年 JBCF西日本実業団トラック・スプリント 1位
・1999年 JBCF全日本実業団トラック・スプリント 1位
・2000年 JBCF全日本実業団選抜トラック・スプリント 1位
・2000年 UCIマスターズ世界選手権・スプリント 1位
・2001年 オーストラリアマスターズ自転車競技大会スプリント 1位
・2001年 UCIマスターズ世界選手権・スプリント 2位
・2004年 JBCF東日本実業団トラック・スプリント 1位
・2005年 UCIマスターズ世界選手権・スプリント 1位
・2006年 UCIマスターズ世界選手権・スプリント 1位
・2017年 全日本マスターズ自転車競技大会・500mタイムトライアル 1位
受賞歴
・1999年 兵庫県スポーツ選手優秀選手賞
・2000年 兵庫県国際競技大会優秀選手賞
・2000年 兵庫県西宮市奨励賞
Q.現在のお仕事について教えてください。
現在は兵庫県伊丹市で「Bicicletta di Maru(ビチクレッタ・ディ・マル)」という自転車屋をやっています
スポーツバイクから電動自転車、普段使いの自転車まで、販売と修理をしながら、「丸山塾」という育成教室も開いています。
自転車初心者の方からプロを目指す選手まで、様々なレベルの人を対象に指導しています。
自転車競技を始めたのは高校3年生のときで卒業してからは実業団チームに入って、アマチュアとして3シーズン走りました。
その後日本競輪学校に入り、プロの競輪選手として26年現役で走り続けました。
現役時代には2000年、2005年、2006年のUCIマスターズ世界選手権でスプリント種目で優勝することができました。
2013年の12月に競技からは引退しましたが、そこでの経験を活かして2019年にこの地元で自転車屋を始めました。

▲BICICLETTA DI MARU 店舗
Q.なぜ競輪選手を目指そうと思ったのですか?
きっかけは、地元のサイクリングチームに入ったことです。
最初はツーリング気分で楽しむ感覚でしたがコーチと接するうちに「自転車の奥深さ」にどんどんのめり込んでいきました。
選手時代はまさに修行のような日々で、「No.1の選手になりたいなら、No.1の練習をしなさい」とのコーチの言葉を胸に、人の2倍、3倍の努力を積み重ねました。
厳しい練習の中で、コーチからは「苦しい中でも楽しく自転車に乗りなさい」とのコーチングもあり、自転車を始めた頃の「楽しむ」という感覚を思い出させてもらったこともあります。
そうした日々の積み重ねが大会での結果につながった時が何よりのやりがいでした。
また当時としては珍しく、「練習メニューは自分で考えろ」と言われ、自分で練習メニューを組んでいました。
多くのチームではコーチが組んだメニューをそのままこなすのが普通でしたが、私のコーチの指導方法は「わからないところがあれば一緒に見直す。まずは自分の頭で考えてみろ」そうやって“考える力”を育ててくれたおかげで選手としてだけでなく、人としても大きく成長できたと感じています。
この学びは、自分が主宰する「丸山塾」の指導にもそのまま活きています。
ただ教えるのではなく、選手一人ひとりが「自分で考え、動ける力」を育むことを何より大切にしています。

▲競輪選手時代
Q.引退後はどのように過ごされていましたか?
引退後、最初は自転車業界から離れようと思っていましたが自転車関連の会社から声をかけていただき、5年間ほど会社員として勤務しました。
しかし、20年以上選手として一人で戦ってきたので「組織よりも自分で責任を持ってやりたい」という気持ちが強くなりました。
競輪選手時代と同じように、自分にプレッシャーをかけながら納得のいく仕事をしたかったので自分の経験を活かせるように、サイクリングショップを始めました。
始めるにあたって「ちゃんと商品説明できるようにならなきゃいけない」と思い、選手時代には全然必要なかった知識や技術を必死に勉強しました。
それと同時に、お客さまとの接し方や言葉づかいも、かなり苦労しましたね。
選手時代のときには求められなかった部分なので戸惑いもありましたけど、人としての成長を実感できる毎日でもありました。
Q.この仕事のやりがいは?
やっぱり一番うれしいのはお客様が「ロードバイク、気持ちよく走れました」「サイズぴったりで、めちゃくちゃ楽しかったです」と喜んでくださる瞬間です。
修理の仕事でも「これで明日から通勤・通学、問題ないです!」と笑顔で言ってもらえると、本当にやってよかったと感じます。
一方、丸山塾でのやりがいは選手たちが目標を達成したときに立ち会えた時ですね。
大会で優勝したり、目標をクリアした瞬間に立ち会えるのは努力の過程を見てきたからこそ、一緒に喜びを分かち合える特別な時間です。
選手に指導する際、自分自身もアスリートだったので「自分ならこうやる」という感覚はありますが、それを人に伝えるのはなかなか難しかったです。
だからこそ、伝わった結果として選手たちが成績につなげてくれると本当にうれしいですね。
目的意識を持って練習を積み重ね、努力の結果が実を結ぶ──その瞬間は、自分が世界チャンピオンになれたとき以上にうれしいですね。
Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?
仁川学院時代は、高2までは卓球部で仲間たちと一緒にいろいろ経験させてもらいました。
高校3年生からは、自転車競技同好会を一人で立ち上げて完全に個人プレーになったんですけどここで「誰も見てなくても、己に厳しく、逃げずにやり遂げる力」が身につきました。
それは今の仕事にも活きています。
Q.仁川学院時代の恩師との思い出エピソードがありましたらお聞かせください。
自転車競技を始めたとき担任の吉岡先生が真剣に話を聞いてくれ、理解を示してくださったことが印象に残っています。
先生は野球部の顧問でとてもお忙しい中、県大会や全国高校総体にも帯同してくださり本当に心強かったです。
顧問になってもらうために職員室に伺って「吉岡先生を全国大会に連れて行きたいので、顧問になってください」と自信満々に伝えたのが、すべての始まりでした(笑)
県大会で先生に見守られながらの優勝は、心からうれしかったです。

▲丸山様と吉岡先生(画像右)との様子
Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?
仁川を卒業してからは、とにかく「競技を通して自分を成長させたい」という思いが強かったです。
担任の吉岡先生からは大学からもスカウトが来ていると進学を勧められていましたが、家業を継ぐ予定もあったので大学には進学せず、実業団チームに入りました。
チームに所属後は、父との約束で、「3年の間に日本一になれなければ辞める」と決め、最後の全日本実業団大会の決勝で失格してしまい、悔しさの中で「競輪学校を受験しよう」と心に決めました。
競輪選手としては、本当にさまざまな経験を積めましたね。
選手時代から他の自転車競技にも挑戦し、ヨーロッパでロードレースに出場したり、イギリス・マンチェスターでマスターズ世界選手権に出場したりしました。
その中でも200mマッチスプリントで世界新記録を樹立できたことは、競技人生の中でも誇りに思える出来事です。
引退後も日本のマスターズ自転車競技大会に出場し、優勝することができました。

▲ヨーロッパロードレースに参加
Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?
学校内の全体朝礼で吉岡先生から突然、「県大会で優勝した報告を生徒の前で話しなさい」と言われて朝礼台に立って緊張して話をしたことですね。
私自身が人前で喋るのは得意でなかったのと、急に振られたので驚きはありましたけど、今となってはいい思い出になっています。
一問一答
Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?
両親の勧めから入学しました
Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。
仁川学院の良いと思うところは、沢山あります。
先生方や神父様、シスターたちがいろいろ相談にのってくれ、のびのび学生生活ができたことだと思います。
高校当時の神父さんの優しい言葉使いや優しい思いで「思いやり」の気持ちを学ぶことができました。
Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?
高校NO1になれるように効率的なトレーニングをしたいですね。
Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。
なでしこジャパン澤選手の名言「夢は見るものではなく叶えるもの」で、チャンスは平等にあります。
好奇心と探求心、信念をもっていれば前進できます。
何も取り柄がなかった自分がそうなれたように、あきらめずにいけば世界チャンピオンになれるという事です。
▲西宮奨励賞受賞の様子
インタビューを終えて
今回は1983年にご卒業された丸山繁一様にインタビューさせていただきました。
取材を通して一番心に残ったのは、選手としての厳しさを経験されながらもどこか優しさとあたたかさを感じさせる丸山さんのお人柄でした。
言葉の端々から伝わる「挑戦し続ける気持ち」と「周りの人を大切にする姿勢」に、こちらも心が動かされる時間でした。
特に仁川学院時代の「誰も見ていなくても、己に厳しく、逃げずにやり遂げる力」という言葉に、丸山さんの人生の軸がにじみ出ていると感じました。
これまでの競技人生や引退後も自転車を通じて人と向き合う姿勢は、その人柄そのものなのだと思います。
選手としてだけでなく今では多くの人に夢や勇気を与える存在であることを実感し、心から「素敵な人だな」と思える取材でした。
丸山様、お忙しい中インタビューにご協力いただきましてありがとうございました。