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世界に笑顔を~垣根を超えた絆

 

 

お   名   前:西村隆夫
卒       業:1972年
当  時  の  部  活  動:水泳部
お世話になった先生:園田校長、田村先生、崎浜先生、
ご   職   業:タイ王国 チェンマイ YMCA アドバイザー (ボランティア)
連   絡   先:ysman.nishi@gmail.com 
S     N            S:https://www.facebook.com/takao.nishimura.90

Q.現在のお仕事について教えてください。

国際ボランティア団体(Y`s Men`s International)のスイスの国際本部で2010年に国際書記長に就任し、チェンマイにサテライト事務所の開設で2016年に移動し、2019年、任期満了で引退しました。

大学を出て日本の商社のロンドン支店で3年ちょっと勤務しましたが当時は、今では考えられないような労働時間で月180時間以上残業をしていました。
商社マンは能力じゃなくて体力勝負だなと実感しましたね。
その後、イギリス系、ドイツ系、アメリカ系の外資の会社に転職を繰り返してマーケティングを中心に仕事をしてました。
当時は転職が珍しかったのですが、ヘッドハンティングが流行りだした時期なので、それもあってか色々、転職していましたね。
29歳の後半ぐらいからワイズメンズクラブ(YMCA)に出会って、仕事をしながら続けていき、最終的にはそこの国際本部での仕事になり、ジュネーブの本部に6年いました。
しかし、スイスはコストが高いのでボランティアの皆様から出してもらってるお金で運営するにはあまりにも非効率ということで、サテライトオフィスを作ろうと提案し、環境がいいのとボランティア活動に力を入れてるタイのチェンマイYMCA内にサテライトオフィスを開設し家内ともども移動しました。
チェンマイのYMCAでは野外教育や英語教育、ユースグループ主催の体験キャンプ等、幅広い活動をしていたので、チェンマイをサテライト事務所の場所に選びました。

任期満了後は家内は孫に会いたいということで日本に帰りましたが私は現地YMCAでボランティア活動を継続したかったので、知り合った現地の方達と一緒に趣味のゴルフを楽しみながら現地に滞在してます。


Tokyo 2020 ゴルフ競技(2021)にボランティアで参加した写真

Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?

フィリピンに出張行ったときに私の父の友人が「私もマニラに行くから飛行機手配してよ」と言われて、何故か現地のYMCAに宿泊し、行き帰りは YMCA のこととボランティアの話ばっかり聞かされて、それで帰ったら新しいクラブができるから、説明からあるから来てくれとかって言われたのがきっかけでしたね。
私が元々、宝塚のボーイスカウトで育っていたので YMCA についても知っていましたので、これも ご縁かなと思って、団体(ワイズ・メンズ・クラブ)に29歳の時に入会し、仕事の傍らYMCAと共にボランティア活動を40年間継続していますが、25年ほど前に国際本部で国際書記長の後任を募集していて、誰かいないかと探していましたが、その時に「どうして自分を候補から除外するのか」と思うようになり、思い切って応募してみたら、ジュネーブでの最終面接を経て採用されましたので、2010年夏に56歳で家内とジュネーブへ赴任しました。
色々な仕事をやって来ましたが、この仕事が一番自分に向いてたなと思います。


新国際書記長として奥様と共に紹介された時の写真

Q.実際に働いてみてどうですか?

同団体は、昨年100周年を迎え、世界76カ国に1500以上のクラブと約2万5千人の会員が所属(日本134クラブ、2千名)してますので、国際書記長に就任してから国際議会や大会の運営に大変なエネルギーを使いました。
特に、海外の方とのコミュニケーションが難しかったですね。
独特の文化や価値観が日本と違うので、予定の調整や交渉・説得するのが大変でしたが、商社時代に培った経験でなんとか乗り切れました。
国際書記長に就任してからは、国際役員との連携や国際議会の運営サポートが主な業務だったんですけど、いろいろややこしい問題があったり、議員達をまとめるのが難しかったですね。
商社時代の時は、皆さんが利益を出すという共通の目的があったので、コミュニケーションは難しくなかったんですが、2万5千人以上の多国籍な会員なので、皆さん様々な考えをお持ちなので非営利のボランティア団体の運営は多国籍役員と組織運営の複雑さと時代にあった変化を起こす苦労がありました。

Q.この仕事のやりがいは?

世界各国を訪問し、現地の長年の友人、リーダー達と組織の運営に切磋琢磨しながらも、フェローシップを今でも継続できているところですね。
毎年、地域などでワイズメンズクラブが主催するイベントがあるんですよ。
セミナーだったり、若い人を呼んでユースキャンプしたりといろんなイベントを毎年、開催します。
参加者もいろんな国から来られる方ばかりで毎年会う人とかも出てくるので自然と仲良くなりますね。
いろんな国の方たちと食事したり、個人的な悩みを相談できる関係を作れるのは中々普通の仕事では経験できないですね。
YMCAは、キリスト教がベースなんですが、会員には、仏教やイスラム教等、様々な宗教を信仰されてる方との垣根を越えていろんな国の方と付き合えるのはこういうボランティアクラブの醍醐味だと思います。
今までのYMCAやワイズメンでの活動はお金で買えない、人生の宝です。

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?

マリアの園幼稚園から、仁川小学校、中学校と“仁川の園”で約15年育ちましたので、自然と“和と善”、の精神が身についたのかもしれません。
キリスト教ベースの考え方を体験できたのが非常に大きかったんじゃないかなと思います。
今は成人して、プロテスタント系のクリスチャンになりましたが仁川学院時代の週一回の礼拝やステンドグラスが今でも心に焼き付いてますね。
当時は、自分には直接関係ない時間だと思いながらも、まさか自分がその後キリスト教がベースのYMCAに大きく関わるとは思いませんからね(笑)

Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?

幼稚園から高校までいましたので楽しく遊ばせさせてもらった印象ですね。
幼稚園の頃は神父さんに追い掛け回されたりしました。
当時は生徒数が少なくて、先生と生徒の関係が近かったので、家族的な雰囲気があったのがよかったです。
修学旅行の時は13 人しかいなくて団体割引が取れないという理由で、保護者たちが一緒に来てたっていうぐらい本当にそういうありえない世界でした。
13 人中、2人が身体的に運動が出来ず、体育は 11 人しかいなかったため、バスケットやバレーしかできませんでしたが、楽しかったですね。

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

ボーイスカウトをやっていたときに、世界スカウトジャンボリーというのがあったときに、アメリカのボーイスカウトの人から物々交換するときに、多少の英語ができたらいいものを交換できるということを体験して語学に興味を持って仁川卒業後は京都外大に進学しました。
在学中にインターンシップでマレーシアペナンに1年留学し、卒業後は商社で3年ほどロンドンにいました。
ちょうどその時に同級生の佐野健二君(仁川時代の同級生)がロンドンの音楽学校に通ってたので、私のアパートに遊びに来てたりしてましたね。
当時は独身の商社マンも多かったので、独身会というのを開いて皆でゴルフしたり、食事したりしていましが、仕事も月180時間以上の残業をしていました。
国際書記長に就任してからスイスに移住し、現在のタイとなり
現在もチェンマイYMCAでボランティアを継続しており、コロナの影響もありましたが、現在は隣国のラオスにYMCAのホテル学校を開校する為に調査と訪問を重ねています。
準備の進展次第では、ラオスに移動する事になるかもしれません。

ロンドン商社時代に音楽学校留学中の同級生の佐野健二様(写真右)との写真

 

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

クラブ活動が印象的ですね。
水泳部の練習プログラムで夏休みは合宿とかしてましたけど、練習の合間で先輩と遊んでいたのが楽しかったですね。
当時は大会に出るために練習してたのではなくて、遊びに行ってたという感じで、冬場は氷が張ったプールの氷を割って飛び込んだり、他の部活動のところに遊びに行ったりしてました。
高校2年の時には、何故か、対抗候補がおらず、皆に言われるがまま生徒会長に選ばれて、文化祭などの準備も遅くまで残ってしてましたね。
当時は男子部と女子部に分かれていて校舎も別々で、さらに昔は、通学も男子部は仁川駅で女子部は甲東園駅を使うように指定されてた位だったので、男女が一緒になることはほぼないんですけど、文化祭の時は一緒に運営できるので良い思い出でした。
偶然にもこのインタビューを受ける前に卒業証書が出てきました(笑)

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

マリアの園幼稚園からですから、自然とそのまま高校卒まで在学してました。大学があれば行っていました。

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

 仁川学院にいる間は家で家族と友人と居るようなのどかな、恵まれた環境だったと思います。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

やはり、この時代ですから、SDGsを体験しながら勉強できる国際プログラムに参加したいですね。

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?

やはり、コミュニティ、社会、国際に貢献できるボランティアグループを見つけて、心豊かな人生を!

Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。

仁川学院小学校卒の大関・貴景勝の応援もしていますが、仁川学院高校卒で活躍しているスポーツ選手がいれば、皆で応援したいですね。
阪神タイガースの佐藤輝明選手等

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

長い人生ですが、高校時代は青春の、真只中、一生付き合える友人と出会える時代でもあります。

お金で買えないものほど価値のある物はないです。
どの大学に行くか、などで悩まず、思いっきりやりたい事をやり、それを実現できる仲間やグループを求め切磋琢磨すればよいと思います。
仁川学院は、すばらしい学びと遊びの園です。                    

インタビューを終えて

現在はチェンマイで生活されており、インタビュー前に日本に帰国され、日本の夏の暑さに驚かれているようでした。
当時の学生時代について懐かしみながら楽しそうに語っておられました。
学生時代から生徒会長で学校行事に力を入れておられ、ワイズメンズクラブでは国際書記長に就任され、運営のポートをされるなど、学生時代からパワフルな方でとにかくチャレンジ精神が旺盛といった印象でした。
インタビュー終了後は、「卒業生のその後についてブログ化していただけるのは本当にありがたいです」と事務局として今後の活動の励みになるお言葉を頂戴いたしました。
西村様お忙しい中インタビューに快くご協力いただきましてありがとうございます。