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仁川学院時代に育んだ絆が現在へ

 

 

お   名   前:前川宏
卒       業:1966年
当  時  の  部  活  動:剣道部
お世話になった先生:山本 弘先生と清水 道治先生
連   絡   先:hiro-kobe@docomo.ne.jp

Q.現在の生活について教えてください

現在は退職して趣味の釣りをしています。
年に40回ほど自宅近くの防波堤や、船釣りをしていますね。
時期にもよりますがタイやタチウオを釣って自宅に持ち帰って捌いて料理をしていますし、釣り仲間もできたりするので充実しています。

Q.仕事について教えてください

建設業をしておりました。
株式会社神戸製鋼所の子会社である、神鋼プラント建設株式会社というところで建設を担当しており普段は工場・プラント建設の管理をしていて主に機械や配管の設置、電気品や計装品を、塗装及び断熱を施工し、最後に試運転までするのが主な業務でした。
現場仕事がメインなので、他の業種の方々と一緒になって現場で作業します。
「土木建築業・機器据付業・配管業・電気業 ・計装業・塗装業・断熱業等」一つの現場にこれだけの方々と関われるのは面白いとこでもありました。

Q.この仕事をしたきっかけは

父親からの紹介でした。
当時は特にやりたいこともなかったのでどうしようかと悩んでいたところ、父親から「仕事紹介したろか?」と言われて紹介されたのが、建設業だったので、そのまま定年退職まで働きました。

Q.実際に働いてみてどうですか?

私は元々文系で、建設に関する知識は一切なかったので、分からないことだらけでした。
最初は、基礎からということで、倉庫番をして資材を覚えることからスタートしたのですが、どれも同じに見えて戸惑いましたね。
職人さんからも「ガスケット(資材の名前)取って」と言われて取りに行くのですが、ガスケットと言っても、大きさや種類も色々あるのでどのガスケットのことを言ってるのか分からなかったんです。
そんなのが日常茶飯事だったので大変でした。
1回大変だったのが、資材が分からず戸惑っていた時に職人さんから資材を教えてもらってそれを渡したんです。
そのあと、現場の施工が終わって、現場を確認したら、資材が間違ってるのが発覚して資材を教えてくれた職人さんが、怒られてたんですよ。
その職人さんは、「前川さんがその資材を持ってきたからそれ使いました」って言ってるのを聞いて、職人さんは頼りにならないなと思って、必死になって資材を覚えましたね(笑)

Q.この仕事のやりがいは?

たくさんあって難しいですが、自分の考えや指導で仕事の進め具合が左右されますので、自分の裁量で仕事ができることが自分に合ってると思いましたし、工場・プラント建設の管理をしていて、日が経過するごとに、「工場、プラント」が目に見えて出来上がって行く事を実感できますし、楽しいことが多かったです。
あとは、現場仕事なので地方や海外での案件も多く、いろんな場所に行けることですね。
出張先の土地でその国の方々(顧客や下請け業者の方々)に係われたのは自分にとってもよかったなと思います。
私自身は、外国語は堪能ではなかったので、中々意思疎通ができなかったのですが、不思議と雰囲気等やしぐさでだいたい理解できたこともありました。
こうした経験があったおかげで、海外旅行の際は、ほんの少しですが英語を喋れるようになりましたので感謝しています。

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?

私の場合は、同級生との繋がりの大切さが今に生きてるなと思いますね。
当時は生徒数も少なかったので、先生との距離も近いし、同級生たちとは家族のような距離感で接していました。
こうしたつながりのおかげで、今でも月に何度か同級生と会って遊びに行ったり、食事したりしていますので、私にとっては学生時代の友情が今の生活の支えになっています。

Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?

部活に打ち込んでいました。
私は中学から兄の影響で剣道をしていたので、高校でも剣道部に入部し練習していました。
剣道部の先輩が生徒会長で、その先輩から副会長の推薦を出されて、1年生の時は生徒会副会長をしていて2年生からは副会長をしていた流れからか生徒会長になって学校の部活動の予算決めなど、学校行事の準備をやっていました。

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

卒業後は特にやりたいこともなかったのですが、とりあえず進学することだけは考えていましたね。
当初は、私の叔父が東京大学の出身なので、東京の大学にもいくつか受験しに行き、1つだけ受かったので、叔父のところで下宿しながら通うことも考えたのですが、叔父から「私立の大学に行くのか」とどやされたこともあり、このまま叔父のところで下宿しながら通うのも辛かったので(笑)東京へ進学するのは辞めました。
周りの友人は、神戸学院大学へ進学する人が多かったので、私もそこへ進学し、経済学部1期生として入学しました。
仁川学院で神戸学院大学に入学したのは私が初めてだったので、魅力に感じました。
そのあとは父親からの紹介で建設業に足を踏み入れることにしました。

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

冬の朝礼時のマラソンが印象に残ってますね。
冬の期間は毎日朝礼時にグランドで中学生と高校生が一緒に何週か走る行事があったんですが、当時は生徒会長をしていたので、走らなくてよかったんですよ。
朝礼台で、○○組走ってくださいと指示する立場だったんですけど、先輩から「見ているだけでいいなぁ」とからかわれたことが印象に残っているので、最後ぐらいは先輩と一緒に走っていたらよかったなと後悔しましたね(笑)

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

当時の中学校の校長先生からの推薦でした。
出来たばかりの新設校だったので、先輩も1学年上しかいなかったのが印象的でした。

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。

教会で歌を歌ったり、聖水を使った儀式は普通の高校じゃ経験できないことが学べるところですね。

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

生徒会長をしていたので、学校行事の運営側に携わっていましたが、今度は、参加する側にまわりたいです。

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?

出かけることが好きなのでおすすめの外出先があったら教えてください。

Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。

趣味で釣りをしているので、釣りをしている方とつながりたいですね。

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

在学時代の友達が一生の宝でもあります。
楽しいこと、つらいことを共感しあえる友達をつくってください。
大人になって、そういった繋がりが人生の支えになりますので、貴重な学校生活を楽しんでください。

インタビューを終えて

今回で3人目の2回生ということもあり、インタビューをしていて思ったことは、2回生の繋がりが深いものだと実感しました。
今回、取材させていただいた前川様は、過去にインタビューさせていただいた長尾様・武藤様と一緒に今でも交流されているとのことです。
そんな前川様ですが、インタビュー中は堂々とされており、学校時代の思い出についても「あまり覚えてない」と言っておられましたが、同級生や先輩との会話や先生とのやりとりなど細かな部分についても語っていただきました。
前川様にとって仁川学院の思い出が印象深かったのが伺えるようなインタビューだったかと思います。
お忙しい中、インタビューにご協力くださりありがとうございました。