自分自身が感動できる演奏を目指して
魚住 浩子 さん 卒業:1998年 当時の部活動:吹奏楽部 思い出に残っている先生: 南先生 ご職業 : ピアニスト ・ 唎酒師・日本酒学講師 YouTube:「ぴろこのピアノチャンネル」 |
現在のお仕事について教えてください。
今は、ピアノ演奏家であり、ピアノの商品販売と両方の活動をしています。 演奏は、様々なところでご依頼頂きますが、西宮のバーやラスイート神戸ハーバーランド(ホテル)などで定期的に演奏しております。
ピアノの販売は家電量販店等で、お客様にプロの演奏家としての立場で購入のアドバイスなどを行っております。
なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?
仁川学院を卒業した後、東京音楽大学のピアノ専攻に入学し、プロの演奏家を目指して学んでおりました。 ピアノは3歳から始め、物心ついた時からピアノの世界にいまして、さらに技術向上を目指して学べる場所ということで同音大へ進学しました。
在学中は、様々な演奏会への出演、異なる楽器やボーカルなどのパートとのコラボ演奏など行っていました。
ピアノソロの機会はみんな取り合いで、その競いには参加せず、あえて異なるパートの方たちと多く演奏したように記憶しています。
そんな東京での活動を音大卒業後も同様に続けておりましたが、2010年に父が亡くなったのをきっかけに関西に拠点を移すことにしました。
さらに、それまでクラシックを中心として演奏していましたが、音楽表現の幅を広げたい、クラシックだけにしたくないという思いで、JAZZに取り組むことにしました。きっかけがあってJAZZピアニスト金谷康佑氏に学ぶこととなり、JAZZの腕を磨いていきました。
技術の向上と共に演奏パフォーマンスとしての楽しさを学び、今の演奏家としてのスタイルに大きく影響を受けることになりました。
実際に働いてみてどうですか?
演奏のお仕事はそもそも不定期なものも多い上に、最近ではコロナ流行によってイベントの中止などに左右され大変な時もありました。 「仕事量の波」はどうしても避けられないのは大変なところです。
そのような中でも定期的に演奏させて頂いている場所は感染の対策などしっかりしながら営業も続けてくれているので大変助かっています。
演奏が無い時はとにかく毎日練習をして技術の向上や演奏の幅を広げる努力をしています。
ピアニストとして、「技術」というのはまさに土台で、演奏表現以前の話なので。。
実際、年齢とともに指の筋肉が瘦せていきます。
それに抗うためには、やはり練習しかないので、隙間時間を利用して継続して練習をしています。 最近はYouTubeのチャンネルを開設し、その撮影も毎日ピアノに触る機会の一つとして捉え活動しています。
コロナ流行によって、人の生活における、必要なものの優先順位があらわになる中、日本においては、「音楽」というものが国として、一番下に扱われたように思いました。 ドイツなんかはその真逆で、こういう時こそ人々の心の健康を保つために最も大切なものが「音楽」であるという考えに基づいて、真っ先に演奏家を支える対応を国としてなされたのを見て、行政の対応や考え方に残念な思いばかりでした。
この仕事のやりがいは?
お客様の笑顔・・・とお答えしたいところですが、本音のところをお話しますと、私の演奏をどう感じてもらったかまでは、考えずに演奏しています。 言い換えれば私の思いを乗せずに演奏するということです。
なぜなら、音楽をどう感じるかなんて、聴いてくださる方の状況によって様々変わっていて当然だと思うからです。 ただ私の演奏が誰かの心に働く、何かの「トリガー」でしかないと思っています。 今一番の目標は「自分自身が感動する演奏」をすることです。
また、プロフィールにありますように数年前に「唎酒師」となりました。
それまで持っている資格が全部国家資格、車、教員、3級アマチュア無線。。と全く活用できていない(笑) ので、何か別の資格をと考えたのがきっかけでした。
さらに日本酒学講師という唎酒師の上位資格を取得し、日本酒ナビゲーター講座開設・養成ができる立場にもなりました。
そういった日本酒との関わりをきっかけに、今後は唎酒とピアノ演奏を一緒にしたライブを定期的に開催していきたいと考えています。
私の住んでいる灘区・灘五郷には、「作業歌」というのが古くからあって、その中の【灘酒造り唄】を全て耳コピで譜面におこしたんです。 当時のものは楽譜といっても音符ではなく、三味線用なのか、現代人に理解できるものではありませんでした。
さらにそれをJAZZアレンジにしたりして、ライブ演奏するなど、これから灘五郷を盛り上げていきたいと思っています。
私は、「○○を○○風に」という演奏が好きで、「ぴろこのピアノチャンネル」というYouTubeチャンネルを開設しました。 ラジオ体操でバレエレッスン、YOASOBI夜に駆けるでバレエレッスンなどシリーズでアップしています。これからとにかく色々「弾いてみた」をアップしていきますので是非チャンネル登録とご視聴頂ければありがたいです。
こうして、自分自身の音楽以外の興味のあることと、音楽を掛け合わせていって、様々の人と繋がっていくワクワクが今のやりがいです。
仁川学院時代に学んだことで今の仕事に活きていることはありますか?
ブラスバンドの世代を超えた縦関係がすごくて、卒業してからも、現役生の合宿に多くのOBが帰阪して出席できるように、お盆時期に設定されているなどして、その当時から今でも世代を超えてつながりをつくってくれています。
どんな学生時代を過ごされていましたか?
部活の顧問である南先生は一番思い出に残っている先生です。
ブラスバンド部では、トランペットを担当していましたが、音大受験のためのピアノレッスンがあって、あまり参加できませんで、トランペットの人というより「ピアノの人」として知られていたように思います。
仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか
東京音楽大学へ進学して、東京でピアニストとして活動、2010年から関西を拠点を移して現在に至たります。
仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?
大峠先生。。みなさんにとっては「怖い先生」だったと思いますが、私には「やさしく」して頂いたというのが印象的に覚えています。
一問一答
Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?
公立高校に落ちたからです(笑)雰囲気いい学校だったので!
Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。
みんな仲がいい!
Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?
もうちょっと勉強します!
Q.仕事や趣味でつながりたい方
灘五郷を盛り上げることにお力貸していただけれる方がいらっしゃいましたら是非つながりたいです。
Q.現役生のみなさまにメッセージをおねがいします。
是非勉強をがんばってしてください。
お金がなくなったとき、頭が悪いと何ものこらないので。。。
インタビューを終えて(事務局)
魚住さんのことを一言で表すなら「かっこいい」だと思いました。 インタビューという設定に関わらず、いつも本音でお話される方なんだろうと思いました。 演奏提供する側とそれを聞いてくださる方々と関係性のお話は、まさに目から鱗で、関わる様々にプロとして本気で向き合う姿勢があるからこそそういう思いにたどり着いたんだろうなと。。まさに「かっこいい」でした。 演奏されているバーやホテル是非みなさんも行ってみてください。
この度はお忙しい所お時間頂きありがとうございました。 またこの記事を最後まで読んでくださった皆様大変ありがとうございました。