自分を変えたのは「学び」
松本 雄宗さん 卒業:2007年 当時の部活動:アメリカンフットボール部 お世話になった先生:長田先生 ご職業 : 飲食店経営 (やきとり鳥源・鶏白湯そば松もと) |
Q.現在のお仕事について教えてください。
伊丹でやきとり屋とラーメン屋の2店舗を経営しているのと、父の会社の伊丹食鳥株式会社の営業もしてます。
松本さんが経営されてる「やきとり鳥源」のやきとり
Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?
サラリーマンを辞めてから留学に行き帰ってきてから、「実家の鶏肉を使った商売をしよう!」と考えやきとり屋をすることを目標とし、父の紹介で仁川の先輩がやっている西宮のやきとり屋さんに 5 年ぐらい勉強させてもらったんですが、正直入った当初は考え方は未熟で「だるいな~」と思ったり「早く人を雇って、早くやきとり屋したいな~」ぐらいしかおもっていなかったんですね。
ただ現実はそんな甘くないので、2, 3 年ぐらいの間は、とりあえずただ仕事して帰るみたいな地に足がついていない状況が続いてました。
そんなある日、焼き鳥屋さんの社長が自己啓発セミナーに行き、考え方が変わり、やり方とかも変えれたみたいで、そこから社員もセミナーに行かせてくれることになったんですよ。
自分でそのセミナーについて調べてみたら、すごく興味が湧いてしまって、本当は、年功序列で順番に行ってたんですけど、僕から社長に「先に行かせてほしいです」と頼み、先にセミナーを受けさせてもらったんです。
当日会場に行くと、中小企業の社長や完全出来高でやっているような「絶対儲けるぞ!」と気合に満ち溢れている方が多く「すごいな~やっぱり儲けようと思ったら勉強もして、考え方も変えていかないとあかんな。」と実感したんです。
そこからは、自分でお金を支払いセミナーに行ったり、人脈を築き上げてきました。
もちろん考え方も変わりましたし、仕事への意識も変わったと思います。
「やきとり鳥源」親子丼
また、当時の先輩社員と大阪のミシュランビブグルマンを獲得されている焼き鳥屋に連れて行っていただいた時に、僕の焼き鳥の概念は180度変わりました。
今まで焼き鳥は「安い・早い・美味い」のイメージだったのですが、その店は「寿司屋の様な内装・1串ずつ丁寧に出てくる・煙たくない・見たことの無い焼き方・皮がネタに巻いてある」など本当に全て衝撃でした。
次の日から初めて焼くことが楽しくなり、昨日見た焼き方や刺し方を自分なりに真似てみて、アルバイトの方にまかないとして嫌というほど食べてもらいました(笑)
なので炭の組み方や刺し方の基礎以外、鳥源の焼き方も刺し方もオリジナルで、ほぼ独学で作りました。
そうしてお店の社長や先輩などからも色々勉強させていただき、それまではもっと小さなレベルで考えていたお店を、どんなお店にしたいか、どんな単価で商品を提供し、ターゲット層はどうするか、など色々明確になりました。
そして「やきとり鳥源」を出店する流れになりました。
お世話になった修行先の桑田社長と松本さん
Q.実際に働いてみてどうですか?
実際自分でお店を出してみて、正直メンタル的には落ち込む日もありますが、それも自分で選択した行動なので仕方ないかなと受け入れています。
また、僕は結構弱みを社員にも見せれるタイプなので、みんなで「どうしていこう?」など話ししたり出来ますし、社員の方も聞いてくれて一緒に考えてくれるので有難いです。
Q.この仕事のやりがいは?
お客様が次回も来てくれたりするのは、いつでも嬉しいものですね。
最近はお客さんが来てくれたらもちろん嬉しいというのは、ずっと変わらないですけど、鳥源でバイトしてる子が「鳥源のアルバイトに友達を紹介したいです」と言ってくれることが、すごく嬉しなと感じます。。
実際に働いてる方が新たにアルバイトを呼んでくれたら「うちっていいとこなんやな」っていう評価が直撃じゃないですか(笑)
それが、一番嬉しいことですね。
なので、そういう喜びが自分のやりがいに繋がっています。
「やきとり鳥源」の店内
Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?
朝礼で体育の厳しい先生が”大学生の時に体験した「トイレ掃除の話」の話をしてくれたんです。
その先生が大学1年生の時、トイレ掃除の当番の時に寮長に掃除が終わったことを伝えたら「便器を舐めろ」と言われたみたいで「いや、それは厳しいです」って答えたら「もう一回掃除してこい」と言われて、次は、もっと綺麗に舐めれるくらいに磨いたらしいんです。
もう一回寮長に掃除が終わったことを伝えたら、次はチェックもせずにOKを貰った、という話を聞いて、トイレ掃除だけではなくて何事も”その感覚”でやらないといけないなと感じました。
バイトや社員の方にも「トイレ掃除の話」は必ずしてますし、今でも鮮明に覚えてるくらいにすごく響きました。
Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?
恥ずかしいくらい、みんなと楽しく部活をやっていました(笑)
元気なアメフトが大好きな男の子でしたね。
Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?
高校を卒業してからは、大学へ進学しました。
大学卒業後は曾祖父の時代からずっと続いている家族の会社に入社するのが普通かなと思っていたのですが、自分が育ってくる中で「継ぎなさい」と言われることはなく、サラリーマンとして食品会社の営業部に就職することにしたんです。
ただ、親のおかげで今まで生きれてたっていうことを分かっていたつもりだったんですが、自分で給料を得て、自分で働いて、自分で給料を上げて、自分の力で生きるっていうことを全く理解できなくて来てなかったんです。
就職するまでは、部活が楽しくて、友達とも遊べて、家もあるし、家帰ればご飯もあるし。
自分がしたいことをしてないと面白くないな~みたいな感じで、結局 1 年ぐらいで辞めてしまったんです。
今思えば当時の僕は、まだまだ子供で甘かったと思います。
サラリーマンを辞めた後は、アメリカンフットボールが大好きでアメリカで生活してみたいなと思い、1 年ぐらい遊びの留学をしました。
そして、いざ帰ろうってなった時に、別に行ったからって大学出たわけでもなく、向こうでMBA 取ったとかでもなく「何もないな」と感じたのと同時にアメリカでは、自分でビジネスしてる人が多く、時間も自由で、全て自分で判断していて「いいなぁ」と漠然となったんです。
そして帰国後は、やきとり屋を自分で出店させる目標の為に、父の紹介で仁川の先輩がやっている西宮のやきとり屋さんに 5 年ぐらい勉強させてもらい、そこで勉強させてもらったのがきっかけで仕事への意識が大きく変わり、本格的に飲食店経営を勉強し、現在は伊丹で飲食店を2店舗経営しています。
留学先のアメリカでアメリカンフットボール観戦
Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?
部活も部活のメンバーも大好きだったんで、やっぱり部活動の思い出が一番残ってます。
当時の仁川はシャワーがなくて、真夏に練習が終わった後にみんなでスパッツだけ履いて水道の水浴びたり、そんな部活終わりにメンバーとキャッキャしてた何気ない日々が、すごい楽しかったです。
一問一答
Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?
両親の勧めで中学から仁川学院に通っていたので。
Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください。
当時の記憶ですが、いじめとかがなく、皆仲のいい雰囲気がいいところです。
Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?
アメリカンフットボールの試合で関学に勝てるよう部活を頑張ります!
思い返したら学生生活を満喫していて、これくらいしか思いつきませんでした(笑)
Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?
僕の経営しているお店で仁川学院のお話しをしたいです!!
Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。
飲食店してる方と是非繋がりたいです。
Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。
1 回きりの人生なので、人の人生ではなく自分で選択をして、自分で責任を持って、自分の人生を生きていってください。
後、今の子たちにしてあげて欲しいなってことがあります。
僕たちの時代は、どの学年にも厳しい先生がいたりして”その先生がいるから” ”怒られたくないから” ちゃんとするっていう所があったんですけど、それじゃ社会に出てからは通用しないんです。
そのままだと大人になっても自分の責任で物事を動かすことは不可能です。
自ら決めた目標を持ち、その目標を達成させる為にこの行動は合っているかな?って常に自分で思えるようになって欲しいと思っています。
自分で考えて行動できる大人になって欲しいですし、中学・高校からその教育をしてあげて欲しいし学んで欲しいです。
インタビューを終えて
沢山の中身の詰まったお話を聞かせていただき、共感する場面もあればインタビューしている側なのに、勉強になったお時間でもありました(笑)
特に子供達の教育について熱くお話していただいた印象だったのですが、松本さんは以前まで仁川学院高等学校のアメフト部のコーチをしていたそうです。
学生と関わっているからこその伝えたい事なんだと感じました。
松本さん、お忙しい中インタビューのお時間をいただき誠にありがとうございました。
「鶏白湯そば松もと」のラーメン