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再起不能から復帰したピアニスト ~神の恵みを奏でる手~

 

小堀 英郎 さん

卒業:1989年

当時の部活動:帰宅部

お世話になった先生:蔵野先生

ご職業 : ピアニスト 
              一般社団法人 日本国際飢餓対策機構 ハンガーゼロ親善大使

HP:https://kobori2002.jp/

連絡先:kobo2002tps@gmail.com

 

Q.現在のお仕事について教えてください。

現在は音楽家、ピアニストや作曲家として活動させていただいてます。
日本国内をはじめ、韓国、アメリカ、フランスなどを定期的に巡り演奏活動をしています。
そして日本と韓国で、計8種類のCDをリリースしています。

また、 NGO 団体で親善大使としても勤めております。
支援国を定期的に訪問し、現地の様子を持ち帰って現地と日本の支援者を繋ぐ活動をしたり、チャリティーコンサート行ったりしております。

Q.なぜこの仕事を目指そうと思ったのですか?

私の父親は時間があれば夜寝る前にレコードを聞いており、その聞こえてくるレコードの音にジーンと感動してた頃から音楽っていうものが好きでしたし、もっと身近なものになりました。
そのような音楽好きの父の影響もあり、4 歳からピアノを習いはじめ、そこからはずっと音楽の道を突っ走ってきたという感じです。

また、ハンガーゼロの親善大使を務めることになったきっかけは2011 年の秋に福島県のホテルでのコンサートに招かれていました。
その年の春にコンサートの為の打ち合わせをしており、その翌日に東日本大震災が起こりました。
しばらく事務所とも連絡が取れずに、どうなるかも分からなかったのですが「予定通りやりたい」という声をいただき福島県に行きました。
そこで実際に出会った人に聞いたことや、その土地で触れたこと、大変なことになっている状況を積極的に伝えていかないといけないと思い、チャリティーコンサートや日本でのコンサートで、福島のことにも触れたりして、お話をしながらコンサートを行っておりました。

そんな中で日本国際飢餓対策機構、当時の理事の 1人が私のコンサートに来られていて、後日、親善大使として一緒に活動してくれないか?というお声をかけていただき、それが始まりでした。

 

Q.実際に働いてみてどうですか?

ハンガーゼロの親善大使をすることで、自分たちがなんとなく知っていた世界情勢や国内外の被災地とかを足を運び、実際にその現地の方に会ったりだとか、自分が体験することによって、情報による知識を通り越して自分の価値観、また音楽にも反映してくるものだと感じました。
生の音楽を届けるように、生の現実の様子を感じ、そして体験しました。 
それは、まさにリアルそのものでした。


Q.この仕事のやりがいは?

やはり、音楽が好きだという人ももちろん、全く関心がなかった人にも、ふと手を止めて振り返ってくれることで新しい人間関係もできることがやりがいを感じる瞬間です。
また、出会う人に「あなたに出会えてよかった」と笑顔で帰っていただけるとき、やはりやっててよかったなぁと思います。
何よりも喜びや感動のシェアができたときには、やりがいを感じますね。

また現在、飢餓に苦しむ子供たちが全世界に 8億2800万人ほどいます。
そういう命の危機にある子供たちや社会的弱者と呼ばれる人たちに、モノではなく目に見えない音楽で彼らに寄り添うことで、本当の意味で彼らと接することができていると考えています。
体の健康ももちろんですけど、音楽が魂の糧になり、魂・心の健康も一緒に守っていくことができることにハンガーゼロの親善大使として、特別な喜びやりがいを感じます。

 

Q.仁川学院時代に学んだことで今の仕事に生きていることはありますか?

仁川学院時代に、私の将来を築き上げてくれたお陰で今があると考えています。
また、仁川学院の先生方とは今も仲良くさせていただいており、学校のイベントにも呼んでいただいたりしています。

 

Q.どんな学生時代を過ごされていましたか?

目立つタイプではなく普通の学生らしい生徒でした。
ただ文化面では、何か行事や式典の度にお声がけいただいて演奏させていだいており、その時だけ特別扱いされていた気がします(笑)

 

Q.仁川学院卒業後は、どのようにしておられましたか?

高校卒業後は、大阪音楽大学の器楽学科のピアノ専攻に進学いたしました。
音大生としてコンクールや演奏会などを企画していただき演奏したり、将来は留学をしたいという夢に向かいコツコツとやっておりました。

留学先も決まっていた大学3年生の時にバイクで事故に遭いまして、左手首をつぶしてしまいまして、、お医者様からも「もう再起不能です」と言われたのですが、なんと2,3ヶ月のリハビリで復帰できるまでになるという奇跡の体験をしました。 
これは、神様からの賜物だと感じました。 
そして、その賜物を存分に使っていかなければという使命にも感じました。
大学卒業後はフランスの、パリ・エコールノルマル音楽院にてジェルメーヌ・ムニエ教授のもとで留学生としてレッスンを受けたり、コンクールに出たりしながら7年間フランス・パリで過ごしておりました。
その後、日本に拠点を戻しまして自分の仲間たちと定期的に演奏会を行い、神戸にある教会で音楽主事に抜擢され、教会音楽の指導者として6年間働きました。
平行しながら、演奏会も行い、韓国にも行きCDを作り、行き来している間に色んなコンサートにも招かれるようになり今に至ります。

 

Q.仁川学院時代の印象に残っている思い出はありますか?

オルガンビルダーを目指している1つ上の先輩が、学校で手作りのパイプオルガンを作られたことがありました。
当時その事がすごく話題になって、パイプオルガンを取材する為にいくつかのテレビ局が学校に来ていて、そこで讃美歌を弾かせていただいたことが一番の思い出ですね。

一問一答

Q.仁川学院に入学しようと思ったのは何故ですか?

通っていたピアノの門下生(仁川学院生徒)から勧められ、将来音楽家をめざしていたので、キリスト教の学校でもありますし、精神面的にも安定したところがいいのでは?ということで仁川学院高等学校を志望しました。

 

Q.あなたが思う仁川学院の一番いいところを教えてください

文化面に関心を持っておられる校風や落ち着いた雰囲気が、自分にとって凄く波長の合う学校だったところです。

 

Q.もし、今の記憶のまま仁川学院時代に戻れるとしたら何をしますか?

生徒を集めて自主公演などの行事を提案して、みんなで将来への決起大会など励ましのコンサートしたいですね~。

 

Q.仁川学院の卒業生の皆様に何かPRしたいことはございますか?

子供達やコンクールを目指している方はもちろんですが、ピアノに挑戦したかったけど出来なかった大人の方や途中でやめてしまったけど再開したい大人の方、またご年配の方にも健康や脳トレの為、新たな趣味として「はじめてのドレミ」をしたい方がいましたらご連絡ください。
70代、80代の方も来てくださってるので、お気軽にお越し下さい。

 

Q.仕事や趣味で繋がりたい方がいましたら教えてください。

大人になってから始めるピアノってハードルが高く感じてしまう人も沢山おられるので、体験会を開催出来たらと思っております。
そういう場所や機会を提供してくださる方がいましたらお声がけいただけますと嬉しいです。

 

Q.最後に仁川学院学生の皆様にメッセージをお願いします。

夢は具体的に心の中で描き、そしてそれを言葉に表して具現化することをして欲しいです。
また、実際に自分の足を運んで人に会いに行く、人の話をよく聞く人間になってほしいなと思います。
とにかく何をするにも人の知恵を借りると思うし、人から助けや支援を受けることは決して恥ずかしいことじゃないし、むしろなくてはならないものなのです。
人に関心を持ち、人から学び、成長していっていただきたいです。

 

インタビューを終えて

初めてお会いした際に抽象的ではございますが、オーラがキラキラされている方だなという印象でした。
そしてインタビューを進めていく中で、音楽のみの活動ではなく”音楽を通じて心の健康を守る”そんな活動をされている小堀さんの想いや魂の強さを感じました。
綺麗な言葉を使ってお話される小堀さんの言葉は、優しい雰囲気ながら力強いものを感じました。 
インタビュー後は、すっかりファンです。(笑)
これからの素晴らしい活動を応援しています。
お忙しい中で貴重なお時間をいただきありがとうございました!